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中国版YouTube「土豆網」丸一日"自主閉鎖"。
このブログで何度か取り上げている中国の動画サイト規制について、最悪なタイミングで最悪な動きがありました。
YouTubeパクリのビジネス・モデルとは言え、中国ではかなりの人気を誇る動画サイト「土豆網」が、3月14日丸一日閉鎖に追い込まれたのです。

中国広播電影電視総局(ラジオ映画テレビ総局)は3月20日になって、1月20日に施行された『インターネットの動画コンテンツ・サービス管理規定』に基づき、動画サイトの処分を発表しました。
なんと25ものウェブサイトが動画掲載サービスの運営中止を命じられ、32のウェブサイトが警告を受けました。これらのウェブサイトは個人のものではなく、動画専門サイトだったり、それなりのポータルサイトやバーティカルサイトなのです。警告を受けた32のウェブサイトの中に、「土豆網」も含まれていたのです。

『インターネットの動画コンテンツ・サービス管理規定』のスゴミは、「国有企業がマジョリティを持つ企業でなければ、動画配信の許可証を与えないよ」というところです。
「土豆網」など中国の人気動画サイトは、既にアメリカや日本・韓国・中国などのVC(ベンチャー・キャピタル)から100億円を越える出資を得て成り立っています。つまり、実質的には外資企業なので、規定が厳格に運用されるなら許可証をもらうことはできません。許可証を得るために内外のVCが国有企業に株式を譲渡するなら、VCが大損することになりますし、動画サイトの運営会社は実質的に資金調達できなくなりますから、ビジネスが破綻してしまうことになるのです。
そんな規定をそのまま運用したら、インターネットやメディアを中心とした"ライセンス産業"に流れていた外国資本は中国から一気に引き上げてしまいますから、さすがの中国も、そんな大それたことはしないだろう、というのが大筋の見方でした。
ですから今回、警告を受けて"自主的"であるにせよ「土豆網」が丸一日閉鎖されたことに、ネット・ビジネス関係者は大きな衝撃を受けたようです。

中国ラジオ映画テレビ総局は中止や警告の理由として、<それらのサイトには、猥褻・卑猥な、暴力的な、そして国家の安全と利益に危害を加える内容の動画が含まれていて、健康的なサービスを求めている規定に符合していない>ことを挙げています。

折りしも3月10日頃から、チベット情勢が緊迫し始めました。しかし3月14日に中国国営の新華社が報道するまで、中国国内では公式な報道はなされませんでした。とは言え、一部の中国の人たちはインターネットを通じてチベットの出来事を知ることができたのです。その一翼を担ったのが「土豆網」などの動画サイトでした。香港を中心とする中国国外のニュース映像がアップロードされたからです。
「土豆網」は中国ラジオ映画テレビ総局の圧力を受けて、丸一日かけて"不穏当"な投稿動画を削除し、監視体制を再強化したのです。そして「閉鎖命令」ではなく「警告」という比較的甘い処分を何とか勝ち取ることができたのでしょう。
つまり、3月14日に「土豆網」が丸一日閉鎖に追い込まれたのは、チベットでの出来事に関わる"国家の安全と利益に危害を加える内容の動画"の掲載が要因だったと推測されるのです。
これまでにも、GoogleやYahoo!が"中国当局の意向"によってキーワードをブロックしたり、ユーザーの個人情報を中国当局側に提供したとして非難を受けましたが、中国を稼ぎどころにしたい「土豆網」としてはいっそう素直に応じるしかなかったのでしょう。

ご存知の通り、中国ではインターネットの高度なフィルタリングが行われています。
気に入らないウェブサイトを丸ごとアクセス禁止にすることもできますが、"不穏当"な情報だけアクセスできないようにすることもできます。
海外のニュースサイトなどは、丸ごとアクセスできなくすると強く抗議されるので、できるだけ"不穏当"な情報(記事)だけ中国側からみれないようにしてきました。それでも言論統制だ、などとの批判が強くなったので、特定のユーザーからの"不穏当"な情報へのアクセスだけを遮断できるような工夫も施されるようになりました。これだと、「ネットワークの調子が悪かった」で済む可能性が大きいですから。

ところがチベット情勢が厳しさを増した15日頃からは、中国からYouTubeへのアクセスができなくなりました。コンテンツの内容をいちいちチェックして、コンテンツごとのフィルタリングを行う余裕が無くなったのでしょう。
14日の「土豆網」一時閉鎖にも、中国当局の慌てぶりが窺われます。
しかも、今回の動きはいわゆるメディアの報道管制を取り仕切る、どちらかと言うと保守的な中国ラジオ映画テレビ総局を中心に行われている様子で、インターネットや通信を管理する、どちらかと言うと開放的な情報産業省(信息産業部)があまり表に出ていない感じです。

チベットの件で、世界の目が中国に集まっているさなかに、インターネットの規制強化を実行に移すなんて、あまりにもセンスの無いやり方で、"頭の良い"人たちが考えているようには思えないのです。
最悪なタイミングで最悪な動きをすること自体、中国当局が追い詰められているようにすら感じます。
# by pandanokuni | 2008-03-24 08:53 | 社会ネタ
胡錦濤や温家宝も、ダライ・ラマ14世も事態収拾への影響力を失ってしまったのではないだろうか?
3月14日までは、人民解放軍は表立った制圧行動に踏み込んでいなかった、と考えることはできそうです。
これはチベット人の女性執筆家のものとされるWoeser's Blogの記述からの推測です(産経新聞福島記者の北京趣聞博客 (ぺきんこねたぶろぐ)にて日本語で読むことができます)。

3月14日まで中国側の制圧行動の主語は"当局軍警""警察"武警"で、恐らく「武装警察」が中心だったことが窺われます。13日までの制圧行動は、"殴打""催涙弾"でしたが、14日に初めて"開槍"(発砲)という記述が表れます。
日本人旅行者が撮影したものとしてメディアに公開された写真の装甲車・機動車などは、私のみた限り「武装警察」のもので、恐らく14日までに撮影されたものではないかと考えます。
14日に"当局取消了開槍禁令"つまり<当局は14日に発砲禁止令を解除した>とあります。そして、15日の記述に、<ラサは当局の調整により「正規軍」によりコントロールされた>とあります。人民解放軍が正式に投入されたのは15日になってからなのでしょう。外国の通信社が配信した、新聞紙で解放軍のマークを隠した機関砲車の撮影時期が確認できませんでしたが、おそらく14日か15日以降なのではないでしょうか。

3月10日から発生したチベット仏教の僧侶を中心に行われた中国当局への抗議行動やデモに対して、少なくとも13日までの中国当局は、発砲に関して自制し、正式な意味での正規軍(人民解放軍)の投入はしていなかったのではないかと推測できます。
もちろん、それ以前に催涙弾や警棒その他を駆使した殴打など(彼らにしてみれば自制が効かしたつもりでも)、チベット人にとっては耐え難い暴力を用いての制圧行動と、抗議行動の指導者・参加者を不法に拘束するという方法で、チベットの人たちの中国当局や漢民族に対する"怒り"を燃え上がらせたのでしょう。

18日に第11期全国人民代表大会(全人代)閉幕後の記者会見で、「ダライ派が組織したものだ」と引きつった顔で言い切った温家宝さんをテレビニュースでみたとき、私は何だか操り人形でもみているような感じを受けました。
89年の天安門事件のとき、温家宝さんは趙紫陽さんとともに学生側に同情的でした。天安門広場に陣取る学生のところに赴いて、平和的に説得を試みたのも温家宝さんでした。もちろん、時も流れて権力の頂点に立てば、態度も一変するかもしれません。
しかし、中国中枢部の見解として、早々に「ダライ・ラマによる計画的な騒乱」と位置づけたこと自体、言葉の上では「調和(和諧)社会」を打ち出している胡錦濤さんと温家宝さんらによる指導体制で決めたことにしては、浅はか過ぎるように思えたのです。

ダライ・ラマ14世は、非暴力と"調和"の路線を堅持しようと思っていたはずです。
一連の事件が発生する前の3月7日、「ダライ・ラマ14世が北京オリンピックを妨害しようとしている」と言い出したのは、中国チベット自治区の張慶黎・同区共産党委員会書記だったようです。ダライ・ラマ14世の側近は翌日(8日)、ロイターの電話取材に「ダライ・ラマは北京五輪をずっと支持しており、そのことを再確認した」と述べています(ロイター日本語サイト)。さらに、"チベット民族平和蜂起49周年記念日"である3月10日の声明でも、条件付ではあるものの北京オリンピックの支持を打ち出していました。
中国の人々は、今年中国で開催されるオリンピックを誇りに思い、たのしみにしています。私もまた当初から、中国がオリンピックの開催国となる機会を得られるようにと、支持しておりました。国際的な競技大会のなかでもとりわけオリンピックは、言論の自由、表現の自由、平等と友好が第一とされます。中国は、これらの自由を提供することによって、良識ある開催国であることを証明するべきです。それゆえに、国際社会も自国の選手を北京に送り込むだけでなく、このような問題に中国政府が取り組むべく喚起する必要があります。多くの国の政府、世界中の非政府組織や個人が、オリンピックを機に中国が前向きな変化を遂げられるよう事業の多くを引き受けていると聞いています。このような方々の誠意を、私は深く称えています。オリンピック閉幕後の中国を見守ることが非常に重要になると、私は断言したいと思います。オリンピックが中国の人々の心に大きな衝撃を残すことは確実です。世界の国々は、オリンピックが閉幕しても、中国内部で引き続き前向きな変化が生まれていくよう、彼らの結集したエネルギーがいかに活かされていくか模索していく必要があります。
ダライ・ラマ14世が、チベットの独立ではなく"高度な自治"の獲得という現実的な路線を平和的に推し進めようとしていることは、既に国際社会のコンセンサスを得ていると考えてよいでしょう。

中国の対外情報の収集と分析の能力、外交戦略について、私は少なくとも日本のそれより勝っていると考えていますし、まして北京オリンピックの成功にこだわりを持っている中国の中枢部(具体的には胡錦濤さんや温家宝さんら)が、ここまでKYとは思い難いのです。

ここで気にかかるのが中国の軍部を中心とする"強硬派"の暴走です。
上海閥との権力争いにはほぼ決着がついたとしても、現政権の中枢は磐石ではありません。特にいまだ強力な影響力を持つ軍部は日和見なところがあって、この時期に開催されていた全人代において、胡錦濤さんの規定路線に沿って事実上の後継を決めてしまうやり方に、反発も大きかったのではないでしょうか。
13日或いは14日までのラサを中心とするチベット人の抗議行動に対する胡錦濤執行部の対応の甘さを軍部に突かれ、14日以降軍部を中心とする"強硬派"の発言力が急速に増したと考えることもできるのではないでしょうか。。

89年のチベット事件で強硬路線を貫き出世したといわれる胡錦濤さんも、世界からイヤでも注目を集める国家の頂点に立ち、「調和(和諧)社会」なんて打ち出したものだから、かつてと同じ強硬路線で制圧するのは得策ではない、と考えた可能性は高いと思います。現に14日の段階で「チベットの安全は全国の安全にかかわる」みたいな曖昧な発言で、"ダライ集団"による計画性には触れていません。軍部がこうした"甘さ"を突いて、対応の主導権を奪ったと想像したくなります。
さらに言うなら、15日以降の中国のBBSの書き込みは、軍部賞賛の方向に流されている感じすらあります。

いっぽうチベット人もダライ・ラマ14世のもとで、一枚岩になりきれなかったのかもしれません。彼が打ち出している"高度な自治"や"非暴力"という穏健な路線に不満を持つ人たちがいるのも事実でしょう。
中華人民共和国の領土内で中国当局や他民族に抑圧された生活を現実として送っているチベット人にとって、精神世界を糧に理想を思い描きながら忍耐強く生き続けるには、もはや限界に近い状態になっていたのでしょう。
そうした人たちにとって、北京オリンピックが開催される今年こそ、最後のチャンスなのかもしれません。ダライ・ラマ14世の意志に背いてまでも、行動を起こす必要性に駆られたのかもしれません。

このように推測していくと、チベット事件の解決において、中国の中枢部もダライ・ラマ14世も実質的な影響力を失ってしまっている、と言う感じがして、行く末が恐ろしく心配です。
# by pandanokuni | 2008-03-23 15:05 | 政治ネタ
チベット人はやはり"ふしあわせ"だろうか?
「チベット人は”ふしあわせ”だろうか?」。2度目のチベット"観光"旅行を終えた感想を当ブログに書いたところ、たくさんの反響をいただきました。こんな主旨でした。
青蔵鉄路が開通し観光資源が掘り起こされたことにより、多くは移り住んできた漢民族の懐を潤すことになったとしても、苦難の昔に比べればチベット族の暮らしぶりも少しずつではあるけれど、豊かになりつつある...ダラムサラのダライ・ラマ14世も時流に逆らって国王に戻るより、受け継がれた地で、現実的な環境の中で精一杯暮らしているチベットの人たちの心の支えで居ればいいと思っているのではないだろうか。チベット人がブッダやダライ・ラマを慕うことができる"こころの自由"が脅かされないのであれば、私たちが彼(彼女)らを"ふしあわせ"だと案ずることのほうが、間違っているかも知れない。
この10日ほど、チベットやその周辺のチベット人が暮らす中華人民共和国の支配地で起こっていることについて、自分として納得がいくほど情況を把握できていません。

1959年にチベット事件がおきた同じ3月10日、ラサ市内のチベット仏教寺院で行われた僧侶などによるデモ或いは抗議集会が今回の事態の始まりと思われます。
政治犯として拘束されている仲間の釈放を求めるためとも、漢民族のチベットへの"移民政策"に抗議するためとも報道されているようです。このデモ或いは抗議集会を、中国側の武装警察または軍が力によって抑圧しました。殴ったのか、催涙弾を使ったのか、はたまた殺傷能力のある武器を使ったのか、戦車や装甲車で踏みつけたのか、わかりません。しかしデモ或いは抗議集会に対する抑圧行動によって、多くのチベット人やチベット仏教の僧侶が亡くなったり、ケガを負ったのでしょう。

中国側の対応は、チベット人やチベット仏教の僧侶の態度を硬化させました。彼らは恐らくコントロールを失い、漢民族など他民族に関係する商業施設などを標的に暴力的な行為を行ったのでしょう。そうした行動は、中国側が更なる力によって抑えつけるべき標的となりました。
現在中国各地のチベット人居住地域に広がっている事態は、1次的にはこうした中国側の対応に対する抗議という意味合いが強いと思われます。

まず、はっきりすべきことは、3月10日のデモ或いは抗議集会が何に対して行われものだったのか。そして、中国側の抑圧行動はどのようなものだったのか、の2点だと思います。
この点、日本のメディアは何も明確にできていません。そもそも、日本ではメディアが「チベット暴動」と伝えていますがが、お家元の中国メディアですら「西蔵事件」と言っています。もちろん、"事件"を使うことに別の意図も隠されていると思いますが。当事者ではない第三者によって、事態の経緯を客観的に調査することが何よりも大事だと思います。

私が知る限りにおいて、チベット仏教の教えは暴力に結びつくものではありません
たとえどんな不幸な情況に陥ったとしても、それを周りの環境や他人のせいにするのではなく、自分の輪廻として受け入れられる精神力を鍛えることこそ修行であり、怒りを顕わにし暴力に訴えることこそ、無知による煩悩の仕業から逃れられない凡人の行動なのですから。
ダライ・ラマ14世と同年代でチベット仏教の"活仏"の一人であるトゥルク・トンドゥップの著書『心の治癒力―チベット仏教の叡智』にはこうあります。
僧侶たちの大半は、じぶんの不幸な体験を、他人のせいにすることなく受け入れ、そのことによって癒されていた。じぶんの不幸を他人のせいにすれば、たしかに一時的には良い気分を味わうことができる。だが、結局のところ、苦しみと混乱は大きくなるばかりだろう。他人のせいにせず、状況を受け入れることこそ、真実の癒しの始まる転回点である。そのときはじめて、心の治癒力が始動する。
ですから中国側が配信する映像の中で、漢民族の商店や銀行を足蹴りしている修行僧をみたときは少なからぬショックを受けました。もちろん、鍛えられた精神ですらコントロールできないような背景があったのでしょうけど。

ダライ・ラマ14世を頂点とするチベット仏教徒の意識が平和的運動による"独立"或いは高度な自治権の獲得であると信じる者にとって、中国側が主張する「ダライ集団による扇動」「ダライ・ラマ14世の関与」は、非常に稚拙な論理だと思いますし、北京オリンピックを間近に控えた中国にとって国際世論に対する上で間違った戦略だったと思います。

ただ、かつてアフリカやアジアを植民地にし、現地人から搾取し苛酷な生活に追いやった西欧をはじめとする国々が、オリンピックのボイコットも含めて中国を一方的に非難することについて、正直なところ若干の違和感を覚えています。
かつて自国の繁栄のため、非効率なエネルギー利用によって、さんざんCO2など地球環境に悪影響を及ぼす物質を排出してきた国々が、あとから経済発展を始めた中国やインドにイチャモンをつけるのと同じようにも感じます。
かつての日本も、西欧諸国の躍進に少しだけ乗り遅れただけで、"悪者扱い"されボコボコにされてしまったのですから、世界の時流が民族国家のほうに向いているとしても、少数民族の支配や独立に関する問題とその解決方法は、現時点の情勢だけではなく、歴史の流れを遡った中で冷静に行われるべきでは無いかと思います。
一応第三国の日本としては、西欧諸国のように「オリンピックはボイコットだ」などとヒステリックに反応するよりも、冷静になって事実に近づく手がかりを捜し求めることと、当事者の間に入って平和的に問題が解決できるよう骨を折ることこそが肝要なのではないかと思います。もちろん、西欧諸国をはじめとする国々にもそのような対応を期待しています。
そうした第三国の好意を頑なに拒否すれば拒否するほど、中国側は苦境に立たされるでしょうし、国際社会のコンセンサスを得られる解決に向けた行動こそが、中国が国際社会のリーダーとして認められるための条件でしょう。いつまで経っても、そうした対応ができないのであれば、一部の皆さんが予測するように、中国の崩壊に向けた加速度が増していくはずです。

「 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所からのアピール/日本の皆さまへ」の中でも、日本の協力が求められています。
チベット人は、中国による植民地統治のもとで、現在に至るまで想像を絶する苦しみを強いられてきました。いくら中国側が、「チベットは発展し、チベット人は幸せになった」と述べ立てたところで、今回の事件は、中国の統治下におかれたチベット人は、まったく幸福ではない
以前このブログで<中国の中にあっても、チベット人は少しずつ"ふしあわせ"な状態から抜け出すことができるのではないか>と書いた自分の論理が、中国側の主張と何ら変わりが無い、とは思いたくありません。
チベット仏教の寛容な精神によって現実を受け入れながら、チベット人は平和的な方法で自由な権利を広げていくのだろう、という理想から生じた想いだったのです。少なくとも当事者の一方は、そうであると。
その想いはいまも変えたくはありませんが、チベット僧侶の怒りの行動をニュース映像で見てしまうと、理想と現実の距離を改めて思い知らされました。

それにしても、中国のインターネット・アクセス禁止システムはたいしたものだと思いました。
日本からのアクセスでも情報統制できるんですね。いつもどおりアクセスできるBAIDU Newsも、チベット関連のキーワードを入力した途端に繋がらなくなっちゃいました。
日本のケータイ・キャリアはもっと努力してほしいものです。
# by pandanokuni | 2008-03-20 20:59 | 社会ネタ
毒入り餃子報道で顕在化する日本(メディア)の矛盾。
中国では公安当局もしっかり春節(旧正月)休みを満喫していたのでしょうが、13日が仕事始め。そろそろ中国側のストーリーも明らかになることでしょう。
労働争議系なら福田さんに一本、"反日不満分子系"なら胡錦濤さんに一本という感じでしょうが、私の仲間うちではCIA陰謀説まで飛び出しています。この事件で誰が(どの国が)一番得をしたのか、と言う線から推理すると、このCIA陰謀説もまんざらではありませんね。欧米系のたばこ会社をM&Aして日本の食品系メーカーとしては世界的に台頭しつつあるJT、東欧共産主義崩壊後の今となっては場違いとも言える生活協同組合のユートピア思想、オリンピックを目前にして意気揚々の中国、アメリカの一部保守層に広がるChina Freeの動き....。

それはさておき、ここ10日ほど日本メディアによる毒入り餃子事件の関連報道を目にしていると、日本の社会や経済や政治が抱える根本問題を置き去りにしているとしか思えません。そして、どのくらいの割合の日本人がこうした報道に共感を得ているのかも疑問です。
ちょっと長くなると思いますが、毒入り餃子報道における日本の或いは日本メディアの自己矛盾を私なりに書いてみたいと思います。


(1)今はまだ選べるからいいけど....。

そもそも日本が食糧自給率を下げることになった要因はアメリカの占領政策だったと言えるでしょう。
過剰気味の小麦や大豆の売り先として、敗戦国"日本"に目をつけたのです。学校給食にパン食を導入したり、納豆や豆腐まで安い米国産大豆にしたり。
食の欧米化により、米が生産過剰となり、米作農家は減反を余儀なくされました。輸入障壁が低くなり、供給元は"利ざや"を消費者は"安さ"を求めることによって、世界中から食料をかき集めて、いまや6割以上を国外に依存するという有様です。
それでも今はまだ選ぶことができます。日本で生産可能なものは"少し割高でも"日本産を買うこともできます。怪しげな中国産を拒絶することもできます。
でも良く考えてみなければなりません。外国はいつまでも日本に食糧を売り続けてくれるでしょうか?
例えば、かの中国。貧富の差が拡大しているとメディアは伝えているけれど、一部の貧困層を除いて総体的に豊かになっているのは事実だと思います。13億とは言わずとも、その半分の6億人がより豊かな食生活を望むなら、内1億人がハイエンドの食料を日本人と同じ値段で買い漁るようになったら、もう日本に売る必要もなくなるでしょう。
日本経済がこのまま萎縮を続けるなら、中国産でもいいから、とにかく食べ物を譲ってくれ、ということになるかも知れないでしょう....。


(2)「少々高くても国産」は格差社会を前提にしての発言?

そもそもテレビのニュースショウを見ていると、「少々高くても国産を買うようにしています」と言う主婦の声を日本国民の総意の如く垂れ流しているように思えます。
いっぽうで日本の大衆メディアの多くは、ここ数年来顕著になっているという"格差社会"について、批判的な報道を行っています。
さ、100円や200円高くても、5割増しになっても、全日本国民は国産食料品を選ぶことができるのでしょうか?
中国製品を避けることによるコスト高で介護老人ホームや学校の給食に皺寄せが来ている、と言う報道もありました。いや、もっとギリギリの暮らしをしている人たちだって多いはずです。
「少々不安でも(安い)輸入品を買うしかありません」と嘆いている日本国民はいないのでしょうか、そうした国民の嘆きをメディアはなぜ伝えないのでしょうか....。


(3)手作り餃子と少子化対策は矛盾しないの?

毒入り餃子事件の報道で、「餃子くらい家庭で手作りにしなさい!!」みたいな発言をするテレビ人が多かったせいか、餃子の具材が売れているそうです。これまたニュースショウが得意げに報道してますけど。
子どものお弁当に冷凍食品を控える動きさえ、これぞ日本のオッカサンみたいに賞賛。
でもね、出来合いの餃子を焼くのと餃子を手作りで準備するので、遺失時間価値を比較してみなければなりません。年5,000時間働くとして、年収1,000万円の人なら時給5,000円、年収300万円の人なら時給1,500円。大雑把に言うなら手作り餃子に1時間かかるとして2,000円の工賃になります。1,000万人が月に1回餃子を手作りするなら、年間2,400億円の目に見えない経済的損失を被ることと同じでしょう。
女性だけが餃子を作るとは申しませんが、働く女性の負担を軽減することで少子化を食い止めなければならない日本国の課題の解決と、手作り餃子の推奨はいささか矛盾するように思えてしまいます。
共稼ぎのお母さんが毎朝お子さまのお弁当の支度をするのは大変な負担です。お弁当のおかずは冷凍食品なんかやめて、手作りにしましょうなんて世論が形成されるのは、ほんと気の毒に思えちゃうのです。

推測の域を脱しませんが、経済的に裕福とはいえない家庭だから共稼ぎする、時間もお財布も余裕の無い奥さんが、手間が省けて比較的安価な冷凍餃子を利用する。これって責められることなのでしょうか?
こういうシチュエーションが多いから、冷凍食品の需要も多いのでしょ....。


(4)日本ブランドと日本製品。

トヨタやニッサンやユニクロやソニーやパナソニックだからといって日本製品とは限らない、これはもう常識になっていますね。中国で組み立てられようが、タイやマレーシアで製造されようが、日本のブランドだから安心だ、というのが世界的な日本ブランド・シンパの趨勢と言えるでしょう。ブランドとはいわば品質管理の象徴なのですから。
ところが、数年前の中国では日本ブランドと日本製品を明確に区別する消費行動がありました。
同じトヨタ・ブランドのクルマでも、日本製造の輸入車と中国組み立てのものでは、価格に数倍の違いがあっても、日本製造のほうの人気が高かったのです。同じソニーのデジカメでも、日本からの並行輸入品のほうが中国製造のものより人気が高かったのです。だから、中国でも同じスペックの製品が販売されているにも拘わらず、秋葉原まで買いに来たりするのです。ま、今となっては秋葉原で売られているソニーもキヤノンも中国製造だったりするので、がっかりして何も買わずに帰ってしまう中国人観光客も多いらしいのですが。

なぜ中国人は日本ブランドでも中国製造品を忌み嫌ったのでしょうか?
それは自分たちが中国ではどんな風に製造しているか、品質管理しているか、想像がついたからです。「オレたちと同じ中国人が作っているんだから、いくら日本ブランドと言ってもたかが知れるな」くらいに思っていたのです。つまり、つい最近までの中国人は中国人の手で製造されたものを信頼していなかったわけです。
いまでも、こうした傾向は残っていますが、ことクルマやエレクトロニクス領域においては日本ブランドの信頼性が高まったので、中国製造だろうが大丈夫だろう、と言う方向になりつつあります。つまり、日本ブランドのクルマや電機製品は中国製造であっても安心できそう、と言う世界の趨勢に近づいてきたわけです。

これは尊敬すべき日本ブランドの並ならぬ努力があったからに他ありません。
トヨタなど部品供給元まで日本から連れてくるくらいの神経質ぶりですが、信頼に値する日本ブランドは中国の委託生産先での自社の品質管理担当者を常駐させるなどして、常に品質管理に気を遣っているのです(9月10日付けThe Wall Steet Journal アジア版では毒入り餃子事件におけるJTフードの対応をトヨタやユニクロの中国における製造管理体制と比較して論評しています)。
ヒトのなす業ですから万全なことはないでしょうが、トラブルが発生してもブランドの責任で解決を目指しているのです。
日本企業は製造の工程すら海外に移しているのですから、品質管理こそブランド価値として維持しなければならない要と言えるでしょう。

中国製の加工食品でも、池袋北口の怪しげな華僑食品店で買うのと、JTフーズなりCOOPなりの日本ブランドを信頼して買うのとでは、消費者心理に大きな差異があるはずです。
双日なのかJTなのかCOOPなのか分からないですが、なぜ製造現場に品質管理担当者を常駐させていなかったのでしょうか?日本から2人派遣したとして、餃子1袋に10円のコストも乗らないでしょうに。せめて監視カメラの映像を日本でも遠隔でモニタできるようにしておくとか。
日本人と中国人では労働やモノづくりに対する考え方が違うのです。日本ブランドを貼り付けて売ろうとするなら、品質管理体制など、それなりの覚悟は必要でしょう。こうした、日本側で対策可能な再発防止策に繋がるような問題点について、日本メディアはなぜ積極的に取り上げようとしないのでしょうか。

商品を右から左へ流すだけの昔風の商社商売を続けていたのでは、品質管理力て持ち堪えている日本ブランドすら危なくなるでしょう....。
# by pandanokuni | 2008-02-12 02:08 | 社会ネタ
毒入り餃子への対応も動画サイト規制も経済論理優先で!?
中国の『インターネットの動画コンテンツ・サービス管理規定』が1月31日より施行されました。
この『規定』を簡潔にまとめると、Youtubeのような動画(投稿)サイトを運営する企業は中国政府よりライセンスを得た国が株式の過半数を所有する「国有企業」でなければならないと言うものです。
中国で人気の高い動画(投稿)サイトは、Alexaのランキングを信じるなら、六間房(6.cn)優酷網土豆網というところです。こうした動画(投稿)サイトは、間接的ながらも外国資本を取り込んだ私営企業が運営していますから、『インターネットの動画コンテンツ・サービス管理規定』で定める「国有企業」ではありませんし、「国有企業」にしか取得資格の無い"ライセンス"も受けることはできません。
したがって、1月31日以降も、こうした動画(投稿)サイトがそのまま運営されているなら、それは"違法状態"ということになります。

ところがどっこい、きのう(1月31日)もきょうも、こうした動画(投稿)サイトは以前と同じように運営されていますし、中国国内からも日本からも接続できる状態を維持しているのです。ちょっとエロ系ムービーには気を遣っている様子は伺えますが、基本的には以前のままです。
つまり、中国の主要動画(投稿)サイトは現在"合法的では無い状態で存在している"のです。
中国当局も動画サイト側も、この『規定』の運用細則が決まっていないことを理由に、現状は深く突っ込まない姿勢を保っています。

この『規定』は一部の嫌中派の方が指摘するような"言論統制"の一環として用意されたものでは無く、中国のお役所の縄張りと利権争いの賜物なのではないか、という仮説がいっそう真実味を増すような状況になっています。

ネット利権に参入しようと、この『規定』に前向きだった中国ラジオ映画テレビ総局は、ネットユーザーの批判の矢に立たされています
例えば、広州のニュースサイト・南方網は「動画サイト規制は、憲法と物権法に違反する恐れがある」と題する論評を掲載しました。『規定』は憲法第35条に定められた"言論の自由"に抵触するものだ、と言うわけです。皆さん、中華人民共和国の憲法は"言論の自由"を保証していることをご存知でしたかぁ??中国人でも恥ずかしくて口に出すのを躊躇ってしまうような憲法第35条を持ち出して、動画サイトの『規定』を批判しているのです。
さすがに"絵に描いた餅"である"言論の自由"だけでは論拠に欠けると思ったのか、昨年施行されたばかりの「物権法」との矛盾を突くことも忘れていません。「物権法」の第3条では、市場を主体とした一切の法的平等と成長する権利が保障されていますが、『規定』は既に成功への道を歩んでいる既存の動画(投稿)サイトの成長を阻害するものだ、と言うわけです。

組織上は、ネット上の言動をも取り締まるべき中国信息(情報)産業部、つまり中国ラジオ映画テレビ総局からその利権を奪い取られようとしているお役所は、ニュースサイトやBBSで盛り上がりをみせている『規定』に対する批判を放置して、楽しんでいるようにすらみえます。

この『規定』を推進していた中国ラジオ映画テレビ総局は批判の矢面に晒されてしまい、責任逃れっぽい発言をしています。例えば、「『規定』は国務院の要求に沿ったものなのです」と言う風に(iReseachに転載された南方都市報の記事)。
国務院は2005年8月8日、「公的資本ではない企業の文化産業への参画について」の"決定"を出しており、動画サイト『規定』はそうした国務院の要求に応えるものであり、中国ラジオ映画テレビ総局と中国信息(情報)産業部の意向は何も働いていない。---こうした発言は、いまのところ中国ラジオ映画テレビ総局が、2億人のネットユーザーと何十億ドルもの投資をしている外国資本を敵に回す事態になったことで、『規定』の執行に慎重にならざるを得なくなったことを示すものだ。
確かに、中国でユーザーを集めている動画(投稿)サイトは既に100億US$規模の資本を外国から集めています。2億を越えるネットユーザーの意見はさておき、こうした理不尽な『規定』に象徴される"チャイナ・リスク"によって、海外資本が一気に引き上げるようなことがあれば、中国の経済に大打撃を与えかねない、と言った"経済の論理"が優先されていく方向なのでしょう。

こと例の『毒入り餃子事件』に話を変えますと、やはり中国当局の"経済優先"の方針が見て取れます。

日本で事件が発覚した翌日に、食品衛生を管轄する国家品質監督検査検疫総局が記者会見を開き、中国側に非があったと確定する前であるにもかかわらず、冒頭に「日本の消費者の食中毒による影響に心を傷めており、被害に遭われた方の早期回復を心から願っています」と挨拶をしましたし、同日の外交部(外務省)の定期記者会見では、あの強面の劉建超スポークスマンが冒頭のブリーフィングでこの事件の事実関係に触れ、(1)中国政府としてこの件を非常に重視している、(2)関係企業に輸出を即時ストップさせた、(3)日中連携して調査を推し進めていく、などと話しました。
企業のトップが勢ぞろいで、ごめんなさいと頭を下げる日本のお詫び会見に馴れてしまった日本人にしてみれば、それでも横柄な感じを受けたかもしれませんが、この10年中国(人)とお付き合いしている私にとっては、かなり低頭姿勢に映りました。
工場の態度が気に食わない、と思った方も多いでしょうけど、ああいうところはプレス対応のノウハウが無いわけで、余計なことを話されたら困ると思った政府当局や弁護士から、当面メディアには対応するな、と言われているのでしょう。これは何も中国に限らず、よくある話でしょう。

日本のメディアの論調として、「北京オリンピックへの影響を恐れて」と言うのがありますが、私はむしろ中国当局は経済への影響を最小限に食い止めることを至上命題として対応していくのではないかと思います。もちろん直近では北京オリンピックの成功が経済成長維持に直接結びつくでしょうから、五十歩百歩なのですけど。
中国にとって日本は"上お得意さん"なんです。お客さんは大切に扱わなければ、と言う認識が少しずつですが芽生えてきたのでしょう。
ま、そのうちどこかの誰か分からないような人物が拘束されて、(中国側としては)一件落着みたいになるのではないでしょうか....。

動画(投稿)サイトの規制も毒入り餃子事件への対応も、中国なりにスッキリしないながらも、或いは日本人が望むような器用さは期待できないながらも、何となく"経済優先"の方向で流れていくのでは無いでしょうか。
# by pandanokuni | 2008-02-01 17:21 | 社会ネタ