3月14日までは、人民解放軍は表立った制圧行動に踏み込んでいなかった、と考えることはできそうです。
これはチベット人の女性執筆家のものとされるWoeser's Blogの記述からの推測です(産経新聞福島記者の北京趣聞博客 (ぺきんこねたぶろぐ)にて日本語で読むことができます)。 3月14日まで中国側の制圧行動の主語は"当局軍警""警察"武警"で、恐らく「武装警察」が中心だったことが窺われます。13日までの制圧行動は、"殴打""催涙弾"でしたが、14日に初めて"開槍"(発砲)という記述が表れます。 日本人旅行者が撮影したものとしてメディアに公開された写真の装甲車・機動車などは、私のみた限り「武装警察」のもので、恐らく14日までに撮影されたものではないかと考えます。 14日に"当局取消了開槍禁令"つまり<当局は14日に発砲禁止令を解除した>とあります。そして、15日の記述に、<ラサは当局の調整により「正規軍」によりコントロールされた>とあります。人民解放軍が正式に投入されたのは15日になってからなのでしょう。外国の通信社が配信した、新聞紙で解放軍のマークを隠した機関砲車の撮影時期が確認できませんでしたが、おそらく14日か15日以降なのではないでしょうか。 3月10日から発生したチベット仏教の僧侶を中心に行われた中国当局への抗議行動やデモに対して、少なくとも13日までの中国当局は、発砲に関して自制し、正式な意味での正規軍(人民解放軍)の投入はしていなかったのではないかと推測できます。 もちろん、それ以前に催涙弾や警棒その他を駆使した殴打など(彼らにしてみれば自制が効かしたつもりでも)、チベット人にとっては耐え難い暴力を用いての制圧行動と、抗議行動の指導者・参加者を不法に拘束するという方法で、チベットの人たちの中国当局や漢民族に対する"怒り"を燃え上がらせたのでしょう。 18日に第11期全国人民代表大会(全人代)閉幕後の記者会見で、「ダライ派が組織したものだ」と引きつった顔で言い切った温家宝さんをテレビニュースでみたとき、私は何だか操り人形でもみているような感じを受けました。 89年の天安門事件のとき、温家宝さんは趙紫陽さんとともに学生側に同情的でした。天安門広場に陣取る学生のところに赴いて、平和的に説得を試みたのも温家宝さんでした。もちろん、時も流れて権力の頂点に立てば、態度も一変するかもしれません。 しかし、中国中枢部の見解として、早々に「ダライ・ラマによる計画的な騒乱」と位置づけたこと自体、言葉の上では「調和(和諧)社会」を打ち出している胡錦濤さんと温家宝さんらによる指導体制で決めたことにしては、浅はか過ぎるように思えたのです。 ダライ・ラマ14世は、非暴力と"調和"の路線を堅持しようと思っていたはずです。 一連の事件が発生する前の3月7日、「ダライ・ラマ14世が北京オリンピックを妨害しようとしている」と言い出したのは、中国チベット自治区の張慶黎・同区共産党委員会書記だったようです。ダライ・ラマ14世の側近は翌日(8日)、ロイターの電話取材に「ダライ・ラマは北京五輪をずっと支持しており、そのことを再確認した」と述べています(ロイター日本語サイト)。さらに、"チベット民族平和蜂起49周年記念日"である3月10日の声明でも、条件付ではあるものの北京オリンピックの支持を打ち出していました。 中国の人々は、今年中国で開催されるオリンピックを誇りに思い、たのしみにしています。私もまた当初から、中国がオリンピックの開催国となる機会を得られるようにと、支持しておりました。国際的な競技大会のなかでもとりわけオリンピックは、言論の自由、表現の自由、平等と友好が第一とされます。中国は、これらの自由を提供することによって、良識ある開催国であることを証明するべきです。それゆえに、国際社会も自国の選手を北京に送り込むだけでなく、このような問題に中国政府が取り組むべく喚起する必要があります。多くの国の政府、世界中の非政府組織や個人が、オリンピックを機に中国が前向きな変化を遂げられるよう事業の多くを引き受けていると聞いています。このような方々の誠意を、私は深く称えています。オリンピック閉幕後の中国を見守ることが非常に重要になると、私は断言したいと思います。オリンピックが中国の人々の心に大きな衝撃を残すことは確実です。世界の国々は、オリンピックが閉幕しても、中国内部で引き続き前向きな変化が生まれていくよう、彼らの結集したエネルギーがいかに活かされていくか模索していく必要があります。ダライ・ラマ14世が、チベットの独立ではなく"高度な自治"の獲得という現実的な路線を平和的に推し進めようとしていることは、既に国際社会のコンセンサスを得ていると考えてよいでしょう。 中国の対外情報の収集と分析の能力、外交戦略について、私は少なくとも日本のそれより勝っていると考えていますし、まして北京オリンピックの成功にこだわりを持っている中国の中枢部(具体的には胡錦濤さんや温家宝さんら)が、ここまでKYとは思い難いのです。 ここで気にかかるのが中国の軍部を中心とする"強硬派"の暴走です。 上海閥との権力争いにはほぼ決着がついたとしても、現政権の中枢は磐石ではありません。特にいまだ強力な影響力を持つ軍部は日和見なところがあって、この時期に開催されていた全人代において、胡錦濤さんの規定路線に沿って事実上の後継を決めてしまうやり方に、反発も大きかったのではないでしょうか。 13日或いは14日までのラサを中心とするチベット人の抗議行動に対する胡錦濤執行部の対応の甘さを軍部に突かれ、14日以降軍部を中心とする"強硬派"の発言力が急速に増したと考えることもできるのではないでしょうか。。 89年のチベット事件で強硬路線を貫き出世したといわれる胡錦濤さんも、世界からイヤでも注目を集める国家の頂点に立ち、「調和(和諧)社会」なんて打ち出したものだから、かつてと同じ強硬路線で制圧するのは得策ではない、と考えた可能性は高いと思います。現に14日の段階で「チベットの安全は全国の安全にかかわる」みたいな曖昧な発言で、"ダライ集団"による計画性には触れていません。軍部がこうした"甘さ"を突いて、対応の主導権を奪ったと想像したくなります。 さらに言うなら、15日以降の中国のBBSの書き込みは、軍部賞賛の方向に流されている感じすらあります。 いっぽうチベット人もダライ・ラマ14世のもとで、一枚岩になりきれなかったのかもしれません。彼が打ち出している"高度な自治"や"非暴力"という穏健な路線に不満を持つ人たちがいるのも事実でしょう。 中華人民共和国の領土内で中国当局や他民族に抑圧された生活を現実として送っているチベット人にとって、精神世界を糧に理想を思い描きながら忍耐強く生き続けるには、もはや限界に近い状態になっていたのでしょう。 そうした人たちにとって、北京オリンピックが開催される今年こそ、最後のチャンスなのかもしれません。ダライ・ラマ14世の意志に背いてまでも、行動を起こす必要性に駆られたのかもしれません。 このように推測していくと、チベット事件の解決において、中国の中枢部もダライ・ラマ14世も実質的な影響力を失ってしまっている、と言う感じがして、行く末が恐ろしく心配です。
by pandanokuni
| 2008-03-23 15:05
| 政治ネタ
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