日本では中国政府当局が反日行動にどの程度関与していたのか、或いはどの程度阻止しようとしていたのか、に関心が集まっているようです。日本では(中国政府当局による)"官製デモ"だという意見、中国政府のコメントでは"自然発生的"な出来事。
私が中関村「海龍大廈」と日本大使館前で実際に目撃した事実より、中国側警備当局の対応を検証してみたいと思います。 中関村に集まった第1派には、少なくとも4名(男性3名女性1名)のリーダー格がいました。彼らは隊列やシュプレヒコールに加わることなく、「海龍大廈」前の広場内での行進の順序や順路を5~20人で構成される小グループに指示していました。 ここでは警察官(濃いグレーの制服制帽)がこの広場の周りに大勢配置されて、野次馬の整理と周囲で見ていた人たちが広場に入って集会に加わるのをせき止める役割を中心に行っていました。もちろん、集会が行われている広場の中にも数十人の警察官がいました。デモ隊のリーダー格と思われる若者と警察官の幹部と思しき人が何度も接触しているのを目撃しました。 10時を過ぎた頃、警察官の幹部と思しき人がデモ隊のリーダー格をせかして、この広場から出て行くよう求めていました。二人で広場のどこから出て行くのか話し合っていました。警察官は、西側(鼎好電子城方向)から出て行くよう話していましたが、リーダー格は「そこからは出られない」(実際、フェンスなどがあって大きな通りに出るのは困難です)と主張して、結局南側から出ることに決まったようです。その後、南側の出口をふさいでいた野次馬や報道関係者は、警察官によって通路を空けるように指示されていました。それからリーダー格の男女二人が、広場内の小グループを南側の出口へと誘導していました。 「海龍大廈」の広場を出た時点で、各小グループは比較的バラバラな行動をしていました。中関村大街を南に向かう小グループが多かったものの、ひとまとまりに長い行進ではなく、西隣の「鼎好電子城」方向や大学の多い北方向に向かったグループもいました。 私はこの時点で、ここに集まった人たちが、組織的に日本大使館に向けて行進を行う、などと思いも付きませんでした。 デモ隊が日本大使館に向かっている、との情報をもとに、大使館付近にたどり着いたのは4時過ぎでした。大使館の南側の国際倶楽部飯店の方向からアプローチしましたが、警察官によって大使館前を通してもらえませんでした。このとき、"送迎用"バスが20台ほど駐車してあるのを目撃したのです。 私はロシア人街(雅宝路)を遠回りして、大使館の北側の日壇路にたどり着きました。大使館につながる日壇路の両サイドには警察官がびっしり並んでいて、車道を歩いている人を歩道に上がるように指示していました(このとき既に車両の通行は制限されていました)。 そして、間もなく日壇路の北側から、まず警察官が3列ほど20人ほどが先頭になって、その後ろからデモ隊がやってきました。光華路との交差点の左右(東西方向)は、警察官によって封鎖されていました[写真1枚目]。この交差点から日本大使館まで100mほどあるのですが、ここの警備は普段各国の大使館を警備している武装警察が軽装備(ヘルメットと盾無し)で担当していました[写真2枚目]。歩道と車道の境に並んで手をつなぎ、歩道から車道へ、或いは車道から歩道への人の流れを阻止していたようです。 日本大使館前は、重装備の(ヘルメットに盾を持った)武装警察官が固めていました。30mほど の大使館の間口に3重から5重にびっしり並んでいましたから200人ほどはいたと思います[写真3枚目]。いっぽう大使館前の公道、つまりデモ隊が密集しているエリアは警察官の担当のようで、デモ隊に紛れ込んでしまっていましたが100人ほどはいたと思われます。私が見た限り、大使館前の武装警察の役割は、大使館敷地内へのデモ隊の進入阻止、ということではっきりしていたと思います。群集の移動に応じて、隊形を厚くしたりしていました。密集して並んでいたので、指示も通りやすかったようです。 一方、警察官のほうはデモ隊の大使館前での滞留を止めさせ、スムースに南側に移動させることが任務だったように思えます。ただ大使館前の警察官はデモ隊の人並みにまぎれてバラバラになってしまい、組織的な連携がうまくいってなかったようです。大使館の北側に配置された警察官の何人かが、さかんに北側に移動するように叫んでいましたが、拡声器を使ったわけでなく指示が徹底していませんでした。「早く移動しろ」という警察官に対して、動かないでいた人たちが言い争いになり、警察官に服をつかまれて無理やり南側へ移動させられたシーンも目撃しました。長く留まる人たちと移動を促す警察官の間で、何度か言い争いがあったのは確かです。中関村で見たリーダー格の一人が、仲裁に入ってデモ隊の先頭を大使館の北側へ移動するように促していました。 さて、大使館へのペットボトル等の投げ込みについてです。 デモ隊の先頭が大使館前に着いた当初は、シュプレヒコール中心でした。そのうち、誰かがペットボトルを投げました。このときは歓声よりと言うよりざわめきが起こりました。一瞬間があって、ペットボトルなどがどんどん投げ込まれていきました。最初のうちはデモ隊が密集していたので、勢いがつかずあまり遠くまで届きませんでした。第1陣のグループが北側へ移動し始めると、大使館から遠いほうのサイドに余裕ができ、助走をつけて投げ込む人が出てきました。付近には警察官もいましたが、見ていないふりをしていて、積極的に阻止するようなシーンは見ていません。 大使館前の警備について、恐らく警備当局の方針は、 (1)デモ隊が大使館前を通過するのは阻止しない。ただし、長い滞留をさせずに、できるだけ速やかに南側へと移動させる。 (2)武装警察は、デモ隊が大使館敷地内へと侵入するのを阻止する任務を負う。 (3)警察は、デモ隊が速やかに南側に移動させる任務を負う。 という感じに思われました。モノの投げ込みや破壊行為に関しては、"想定外"だったのではないでしょうか。少なくとも現場の警察官は対応しろとは言われていなかったようです。かと言って、無視しろとも言われていなかったように思えます。投げ込みが激しくなっていくと現場の警察官はちょっとオロオロした感じになりました。中国のお役人特有の「面倒なことには関わりたくない」といった表情を、私は見て取りました。ちなみに、大使館前の公道に配置された警察官は無線やトランシーバーを装備しておらず、デモ隊にまぎれてしまって指示体系が寸断されている様子でした。デモ隊に揉まれながらケータイ電話で、恐らく上司の指示を受けようとしていた警察官も見かけました[写真4枚目]。 以上が私で見た事実と感想です。 前回ポストした「彼らの"主張"」の中で、大事なものを一つ忘れていました。それは、「抗日は愛国だ」という意味のことです。このことは、反日集会参加を呼び掛けるメール(中国語のままアップしています)にもはっきり書かれています(なおこの文書には「暴力行為を行わないように」ということも書いてあります)。反日行動は決して国家の方針に背くものではなく、国家を愛する行為の一つだ、と言うことでしょう。デモ隊が投げたペットボトルが警備中の武装警察官のヘルメットに当たりそうになると、「気をつけてぇ」と声がかかりました。ぶつかると「ゴメンねぇ」と声があがりました。ボゴンとペットボトルをぶつけられた武装警察官も心なしか微笑んでいるように見えてしまいました。 彼らがともに「愛国心」と言う言葉で結ばれているような気持ちにさせられました。
by pandanokuni
| 2005-04-10 22:11
| [実録]05年4月反日デモ
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