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【書評】田原(Tian Yuan) 『水の彼方 ~Double Mono~ 』
田原(Tian Yuan)の『水の彼方 ~Double Mono~』は、私にとってはある意味で難解な作品でした。

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1985年生まれとは言え、16歳でHopscotch(跳房子)と言うバンドでデビューし、2年後には香港映画でメインキャストを演じ、著名な映画賞をも受賞した田原(Tian Yuan)を、「八〇后(中国の80年代生まれの若者)」の典型として語ることは無理があると思いますし、典型的な「八〇后」が田原(Tian Yuan)を支持しているか、というのも疑問です。

<女の子たちのおしゃべりの話題>といえば<テレビドラマ、新しいダイエット法、オープンしたばかりのレストラン、S.H.E.、心理テスト><男の子はもう少し単純で、バスケかサッカーかゲームのことだけ>。
『水の彼方 ~Double Mono~ 』の冒頭で語られる高校二年生の放課後の喧騒こそ、典型的なその時代の「八〇后」でしょう。
映画『タイタニック』のディカプリオとウィンスレットの真似をして、船先に立ち手を広げセリーヌ・ディオンの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』を歌うのも、私がイメージする典型的な「八〇后」です。「ニルヴァーナ」や岩井俊二の映画『スワロウテイル』ですら、私の理解している「八〇后」のイメージからみると少し尖っています。

私に言わせれば、田原(Tian Yuan)は八〇后のサブカルチャーそのものです。

冒頭の引用されている清代の怪奇小説『聊斎志異』の中の短編『水莽草』は田原(Tian Yuan)自身が「日本語版あとがき」で述べているとおり、同世代人にとってポピュラーなものではありません。
ビートジェネレーションのユダヤ系アメリカ人作家・アレン・ギンズバーグの作品『リアリティ・サンドウィッチズ』にしても「八〇后」のバイブルとは言えないでしょう。出典を理解してからでは無いと読み進められないかも知れません。

作品を更に難解にしている要因は、青春(心境)小説と幻想小説とのボーダレスな交錯と、突然の白昼夢、それに伴う時制や人称の転換にあると思います。もちろんこうした手法により、主人公・陳言の内面をよりデリケートでリッチに表現することができたのだと思います。
泉京鹿さんが翻訳に取り組み始めて、2年近い歳月を経て、ようやく日本語版として完成させた苦労が分かる気持ちがします。

原題『双生水莽』の一部となっている<水莽草>。
主人公・陳言が日記に挟んでいる一本の根から二本の葉が伸びている水草が<双生水莽(双子の水莽草)>です。武漢市内を貫く長江(揚子江)の河岸の湿地で摘んだものなのです。
田原自身は日本語あとがきで、前述の怪奇小説『聊斎志異』の短編『水莽草』の物語を田原自身の青春時代と結び付けています。小説の中でも、主人公・陳言が<周波数>の合う仲間にお気に入りの物語として『水莽草』を語って聞かせたています。水莽草を食べて水莽鬼(亡霊)になり、好いてくれたオトコを身代わりにしてでも現実世界に帰るべきか葛藤しているのが陳言なのか、『水の彼方』を書いている田原自身なのか、こうした二重性が『水の彼方』の中で、作者・田原と主人公・陳言との関係をより複雑なものにしています。
幸いにも田原本人にこの件について尋ねる機会がありましたが、「この作品は私自身のイメージから飛び出した言葉の物語」だとお答えいただきました。短編『水莽草』の美少女水莽鬼(亡霊)三娘のように、小悪魔的で小悪女的だったのは、 『水の彼方 ~Double Mono~ 』を書いた時の田原自身だったのでしょう。

<水莽草>をはじめ、<(赤い)恐竜の泡><象魚(ピラルクー)><月の中の小人>などのファンタジックな比喩的象徴が、『水の彼方』の文学性を強くするとともに、難解にもさせています。
こうしたメタファーは、作品に詩的な生臭さ(泉さんは訳者あとがきで<生物学的匂い>と述べています)を醸し出させ、作者のセクシャリティ(女性性)をいっそう強く引き出しています。
いっぽうで、主人公・陳言の従兄弟との初恋のエピソードは、まるで綿矢りさの『蹴りたい背中』のように甘酸っぱい思春期小説風でもあり、舞台が北京に移ってから結末までの展開はスピーディかつ残酷で、ゴダールの『気狂いピエロ』を彷彿させてくれたりと、作者・田原或いは主人公・陳言の複数のパーソナリティが一つの小説に封じ込められている感じがします。

『水の彼方』は、田原自身の<周波数>にシンクロした<重力ポテンシャルエネルギー>によって自動記述された、幻想的青春小説と言えるでしょう。
1950年代アメリカの若者がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(『水の彼方』では主人公・陳言自身中学2年生のときに読んでいる)を愛読し、大人の世界を自分自身の価値観で拒み通そうとする主人公の少年に共感したように、また村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が1970年代の日本のサブカルチャーから若者の普遍的な虚脱感(村上は中国語版の解説で<近代化の達成という大目標を成し遂げた後に残る「喪失感」と述べている>を書き記したように、『水の彼方 ~Double Mono~』は生活も風景も価値観も目まぐるしく変わる現代の中国を舞台に大人になる一歩手前の少女のモラトリアム体験を幻想的に描いたものだ、と私は勝手に解釈しています。

第二次大戦後栄華を尽くした1950年代のアメリカ、GMのシボレー、ライ麦畑。高度経済成長期の日本、学生運動、オイルショック、限りなく透明に近いブルー。
そして、21世紀初頭の中国。WTO加盟、富裕層の拡大、GMもTOYOTAも中国頼り。そうした中、次代を先んじて捉えているように行動しているように見えても、実は置いてけぼりにされている、若者のこころの内側。
『水の彼方 ~Double Mono~』は、若者のこころの中に突如現われる空隙を満たす液体の如く、世界中の若者に読み継がれていくことでしょう。新世紀エヴァンゲリオンのLC.Lみたいに、血生臭くけれと心地良く。

田原が音楽活動を本格的に再開するとのことで、たいへん楽しみにしています。
『水の彼方 ~Double Mono~』の主人公・陳言と同様、ニルヴァーナが大好きだったという田原ですが、最近はまさに八〇后世代に人気のミュージシャン羽泉や李宇春を手掛ける音楽プロデューサー張亜東と組んで音作りをしているようです。張亜東作曲による『50 Seconds From Now』は、ヴェルベット・アンダーグラウンドのニコを彷彿させるアンニュイなヴォーカルで、冒頭に述べた八〇后サブカルチャー路線を証明してくれた感じです。
田原は、私が大好きなテレビヴィジョンも大好きだそうで、『50 Seconds From Now』の歌詞やヴォーカルは詩人ギタリスト・トム・ヴァーレインの影響も伺われます。
この秋にはアルバムが完成するとのことで、こちらのほうも大きな話題になって欲しいと願っています。

■関連リンク■
田原ブログ(新浪博客)
八〇后(中国新人類・八〇后(バーリンホゥ)が日本経済の救世主になる! (洋泉社Biz)=次代高消費層として捉えている点では普遍的な八〇后を確認できると思います
水莽草(青空文庫・田中貢太郎訳)
アレン・ギンズバーグ(ウィキペディア)
スワロウテイル [DVD](goo映画)
気狂いピエロ [DVD]ウィキペディア
限りなく透明に近いブルー(ウィキペディア)
新世紀エヴァンゲリオンのLC.L(ウィキペディア)
張亜東(C-POP)
『50 Seconds From Now』音楽ファイル直接リンク)
ニコ(ウィキペディア)
テレビヴィジョン(ウィキペディア)
トム・ヴァーレイン(ウィキペディア)
by pandanokuni | 2009-07-31 22:03 | その他
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