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「今、再び、被災地へ..」モスケさんの『成都通信』より
5月12日に四川省で大きな地震が発生して、5ヶ月近くになります。世界の目は一瞬四川へと注がれました。
けれどもその後、北京でオリンピックが開かれ、チベットや四川のことも引き続き注目していかなければならない、と気勢を張っていた"良心的な"メディアですら、オリンピックと言うお祭り報道の中で突出することはできなかったようです。
それから、日本の総理大臣の交代や、中国人初の宇宙遊泳のことや、75兆円にものぼる公的資金の投入をアメリカ議会が否決ことや、ニュースは次から次へと消費されていくわけです。福田康夫という、日本の一代前の首相のことが忘れ去られるように、四川での大災害も忘れられてしまう。でも特に、こうした災害には"つづき"があって、その"つづき"こそ、私たちが注視しなければならないものなのかもしれません。

モスケさんの『成都通信』は、所詮消費されてしまうだけのニュースや情報の脆さを補う一つの手段として、ご本人にはそのような意図が無かったかもしれないにせよ、私はインパクトを受けました。マグニチュードがいくつだった、死亡者は何万人だった...。でも、四川の大地震も含め、大災害の多くはその被害者にとって現在進行中の事象なのです。「あなたとは違います!!」いや、福田さんとは違うのです。
モスケさんのご了解をいただき、全文を転載させていただきます。

「今、再び、被災地へ..」


わが社は、創立10周年記念を
この秋に迎えます。

これを機会に、社会貢献活動を被災地向けにやろう、
ということまでは
GOサインが出たのですが
「じゃ、何しよう?」という段階で足踏み..

じゃ、再び、被災地へ行って、その「肉声」を聞いて来よう
ということで、先日、再び被災地へ行ってきました。

今日は、そんなお話です。


まず、従業員の親で被災しているお宅へ..

当日は、あいにくの雨...

で、その被災した家は、かろうじて雨をしのいでいるだけでした。
それもそのはず、被災後やった工事は
屋根の修復工事だけだったんです。

 <なぜ?>

もうこの家を修復しても、そこに住むことはないからです。

(もうちょっと正確に言うと)
この家には危ないので住んではいけないのです。
これは、政府のお達しです。

彼らは、今、仮設住宅に住んでいているのだけれど
昼は、畑が近いことと、やはり..

「ずっ~と、仮設住宅にいると、息が詰まってしまう」

という理由で、この倒壊しかかった旧家に来て
農作業の復興の準備をしているのです。

当日は、あいにくの雨でした。

で、私が思ったことは..

 <そうか、家というのは、雨をしのぐためのものだったのか?! >

これは、確かに大事な「機能」です。

家のもともとの「機能」は、雨風をしのぎ、
そこで居し、寝れるということなんですね。

でも、人間にとって、「家」の存在というのは、
とても重要なことなんだ、と改めて感じました。

人間が生きる基本が、きっと「家」と「生業」なんでしょうね。
(実は)この2つさえあれば、何とかやっていけます。

人間の幸せの根源を見る思いです。

農家をやっているお父さんの手は、爪の先まで真っ黒でした。
そんなところにも、彼の人生が凝縮されています。

でも、しっかりと握手してお礼をしましたよ。
お米と油をお土産に...

で、彼らの口から出たことばは、とても切実でした。


 「この家を建てるのに、8年前、3万元をかけました。
  もう、それを出す余力は、まったくないです。
  今、この地震で、お金はスッカラカンです。

  田畑は、土砂で埋まってしまいました。
  そのこの地で、また、農業が再開できるのか、決まっていません。」

 「どこまで、政府がやってくれるのか
  この家では、住めないことは、通達を受けているのですが..

  これから、いつ、新しい家を建ててもらえるのか
  その順番がいつ回ってくるのか
  まったく、見通しがついていません。」
 
 「今でも、時々地震の夢を見ます。

  いつまた、同じような地震が来るのかも
  って思うと、怖くて、つい起き出してしまいます」


悲しい現実が、そこにド~ンと腰を下ろしています。

かけてあげる言葉を、こころの中で探していましたが
適当な言葉を見つけることができません。


 「娘が、まだ、結婚もしてもいないだが
  福建省に住んでいて、四川省に戻したいのだが
  職業を斡旋してもらえないだろうか?」


家族と一緒に住みたい、でも働き口がない。
そんな現実が、垣間見えます。

このような大きな被災の後、傷心の時に
気心の知れた家族と一緒に住んで生きたい
これも至極、当たり前の感情(幸せの根源)
なんだと思いますよ。

そんなちょっと重い空気をひきづりながら、次ぎの慰問先へ..

ここは仮設住宅の中でのインタビュ~..

その婦人の旦那さんは、この地震で亡くなったそうです。

そのお宅には、訪問した時に
横になっていたご老人の方がいました。

先日、手術をしたばかりらしいです。

で、一通りのお話を聴いた後
ちょっとでも多くの方のお話を聴きたくて
近所の人たちにも、今度は別の家に集まってもらいました。

そうしたら、あることに気付きました。

老人と奥さんだけなんですね。
子どもさんたちは、そりゃ、学校へ行っている時間帯です。

で、旦那連中は、生計を立てるために
そばに働き口を見つけにくいので、「出稼ぎ」をしに行っています。

言わば「3ちゃん仮設生活」なんです。

そんな中、奥さん連中が、孤軍奮闘!
毎月180元(2500円ほど)で食費を済ませているわけです。

因みに、この180元というのは
(ちょっと不謹慎ですが)カラオケ屋さんの席料と同じなんです。

そんな額で、ひと月をやり繰りしているんです。

で、赤ちゃんのいる家族は、比較的住環境のよい
仮設に集められているということです。
それなりの配慮が施されているようです。

で、いろんな話を聞いてメモを取ってきたのですが
その取っていたメモの手が突然止まった瞬間がありました。

それは、その未亡人の奥さんに
高1の娘さんのことを、話してもらった時のことです。

 「娘がこんなことを言うんですよ~

  この地震で私は、成長したって..

  本当に、こころの底から勉強したいと思った。

  本当に、こころの底から、節約しなくちゃ、って思った。

  本当に、こころの底から、(お父さんがいなくなって)
  お母さんのことが心配になった..」


取っていた私のメモが、いつの間にか、涙で滲んでしまいました。


 <そ、そういうことなんだよな~

  死んじゃった人の分まで、しっかりと生きないと ..

  この地震から何を学ぶのか?

  それをしっかりと、こころに刻み込んで
  前を向いて、「今」をしっかりと生き抜かないと..>


この話を聴いた時、(実は、こころの中で)
先日、北京で行われたパラリンピックのある記事を思い出しました。


 「この障害のおかげで、私は強くなりました。

  今、ある障害は、それは本当は欲しくはなかったけれど
  そして、その障害を受け入れるのに時間もかかったけれど..

  そのおかげで、私は、以前より強くたくましくなった。

  そして、こうしてパラリンピックにも出れて
  自分は飛躍的に成長できた。

  だから、私は、この障害に感謝しています。
  ありがとう、って思っています」


実は、私は、この記事を目にした時も
目頭に熱いものを感じていました。


  <何という真実!何という前向きな生き方(考え方)!!>


話の根っこは、どれもこれも、みんな同じなんです。

で、翻って、私たち自分自身のことを考えてしまいます。


 <こんな健常者で、しかも地震の影響もそんなに受けていないのに
  一体、何やってんだろう?? >


もっと、もっと、幸せに近い距離にいながら

もっと、もっと、普通に頑張れる位置にいながら
全然、がんばっていない自分を見つけるのです。

毎日の日々の普通の生活の中にこそ、幸せがあるのに
それを幸せと思わず、当たり前だと思って
「ありがとう」のひとつも言っていない自分が
そこにあるのです。


彼ら、被災地の子どもたちは、今
地震の前よりも、ずっと一生懸命に勉強しているそうです。

くだんの少女は、将来、やりたいことがあるのだそうです。
四川省の復興のために貢献したいそうです。

それが、少女にとって
死んでいったお父さんに対する「弔い」であり
お母さんに対する「恩返し」であり
自分に対する「生き抜く支え」なんです。

で、義務教育を終えた高校以上の学費については
政府の援助も薄いのだそうです。

そんな彼らを応援してあげることこそ
本当の意味での社会貢献活動なんじゃないか
って、今、思っています。

この貢献は、今、すぐ、目に見えた効果を
出すものではないのかもしれません。

けれど、そういう次世代にバトンをつなぐような貢献が
あってもいい、と思っています。

そして、いつか、地震の前より
素晴らしい街をまた、そこに再現させて
もらいたいって思うのです。

そんな行為は、太平洋の中にポトンと落とす
一滴の「汗」のような
そんな貢献かもしれません。

でも、それを誰かが、そう誰かが始めなくては
何も始まりません、何も起こりません..

それは、モスケが生きている間では
完結できないかもしれません。

でも、それでも「お天道さん」が
しっかりと、見守ってくれているはずです。

そう信じたいです。

その未亡人の方が、時折見せる明るい笑顔に
私のこころは、(ちょっとだけ)救われました。

最後に帰ろうとしたら、「一緒に、写真を撮りませんか」
って、誘われました。


 「こうやって、来てくれてありがとうね~
  実は、これが、一番の我々の慰みなんですよ。

  関心も持たれなくなってしまった、と思うと
  それはそれは、ちょっと寂しくなるものなんです。

  私達だけ、置いてきぼりされたような感覚になるんです」

そんなことばを、最後にいただきました。

お安い御用ですよ、クルマで往復4時間揺られただけのことですから..

こうやって、今、一緒に、この大地に生きている「ご縁」
そして、そんな「ご縁」に生かし、生かされ..
これらも、一緒に、繋がっていきましょう。

だって、「今」、生きているのは、我々なんだから..


 <「愛」はたて糸、「信」はよこ糸>


かの有名な岡崎嘉平太さんのそんなコトバが
30数年の時空を越えて頭を過ぎりました。

果たして、この織物、どんな風に織られるのでしょうか?
(しっかり織らないと「お天道さん」に叱られそうです)


帰りのクルマの中で、9.11テロで作ったという
あの名曲「ハナミズキ♪」(徳永バ~ジョン)を聴きました。

 「君と好きな人が百年続きますように~♪」

そうそう、君のお父さんは、きっと天国で、君の勉強を
心強く思っているよ、暖かく見守っているよ。

だから、だから、しっかり、そう、その調子、今の調子で
勉強していってネ。

私もそんなあなたを
そんな真に学びたいと思っている人を
これからも(こころから)応援していきます。


 <百年のスパンで考えた時、この「汗」が
  大海を作っていってほしい..>


って、そんな希望の気持ちも込めて..

そんなことを、こころの中でお話しながら
また、一人、一筋の涙を、ポトリと垂らすモスケでした。
(「涙」は、こころの「汗」なんだぃ~)

いろんな「思い」を胸に抱いて
いろんな「出会い」を脳裏に焼き付け
いろんな「ご縁」に生かし、生かされ..
自分もまた、行動し、成長していきたいと思います。

PS)
 でも、なんで、ハナミズキの歌詞は..

  「空を押し上げて手を伸ばす君、5月のこと..♪」

 って、5.12四川大地震を予言していたような歌詞
 なんでしょうか? 運命を感じます。

 よかったら、また、「ハナミズキ♪」(徳永バ~ジョン)を
 聞きながら、(後段だけでも)読んでみてください。

 実は、私は、そうしながら、ず~っとこれを書いていました..
 そんなことで、もっと、皆さんとのこころの距離が
 縮まれるような気がしますもんで..
 

では、また..

2008.9.30
モスケ@成都

モスケさんは、かれこれ10年ほど前、私が北京で働いていた頃、知り合いました。その後、音信が途絶えていましたが、ふとしたキッカケから、成都でお仕事をしていることを知るとともに『モスケの(勝手に)成都通信』という不定期に発行されるメール通信の読者にもなったのでした。
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by pandanokuni | 2008-10-01 23:15 | 社会ネタ