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ちょっと"愛人"のところに、お世話になることにします....
この「ぺきん日記」を始めたのは、2004年10月のことでした。中国の北京に赴任して、丸七年を迎えようとしていた頃で、北京が仮の住まいとは思えない状態になってしまったので、ここは一つ北京のおもしろネタなどを日記風にブログで公開してみようか、などという想いで始めました。

海外赴任・海外生活となると、そのものが日常とはかけ離れたもののように思われる方もいらっしゃると思いますが、足掛け十年、この北京でもうすぐ八年もそうした環境にあると、もうホントに日常生活そのものになってしまい、日本で暮らしていたら感動するであろうことも、驚くことも、不思議に思うことも、ゲロを吐きそうなことも、フツーに思えてくるものです。
そんなことではいけないと、ここでは当たり前の日々から、小さな感動や驚きや不思議のタネを切り取って、大袈裟にブログで公開することにしたわけです。

ところが、いま中国はいろんな意味で日本人に注目されているようで、ご覧になってくださる方もどんどん増え、仕事や遊びで多忙なときなどは、エントリーが滞るのが申し訳無いような、プレッシャーに曝されたこともありました。
4月9日に発生した北京での反日デモの様子をエントリーしてからは、特にアクセスが増え、ご覧になっていただいている方から貴重なご意見もたくさんいただき、何だか盛り上がってきました。
ところが、中国で反日運動が盛り上がりを見せていた4月下旬のある日、この「ぺきん日記」を置いてあるエキサイト・ブログは中国からアクセスできなくなってしまいました。

この国には世界に誇るインターネット検閲システムがあって、海外のニュース・サイトなど様々なサイトが突然アクセスできなくなったりするので、これもある意味"日常"の一つなのですが、ここ北京からですと特殊な方法を取らない限り更新もママなりません。
それでも、いずれアク禁が解除になると秘かな期待を持っていたのですが、1ヶ月以上たってもアクセスできないままです(インターネットの接続方法によっては、中国からエキサイト・ブログにアクセスできるようですが)。Yahoo!のGeocitiesの中の古くからあるサイトも中国からはアクセスできないままです。ニュース・サイトの場合は、対象となった記事がトップ・ページから外れる数日くらいでだいたい回復するものなのですが、エキサイト・ブログの場合、この国の検閲担当者がアク禁したことを忘れてほったらかしにしたままなのでしょう。
「ぺきん日記」は日本にお住まいの方にもご愛顧いただいているのですが、中国にいらっしゃる日本人の方がなかなかご覧になれない状況にある、というのはちょっと不本意です。日本にいらっしゃる方からは、お叱りを受けそうな内容であっても、こちらに住んでらっしゃる日本人にはヤケに納得してもらえるネタも多いからです。

そんなわけで、この「ぺきん日記」も長い間お世話になったエキサイト・ブログを後にして、最近ネタ切れのLive Doorのほうにお世話になろうかな、と考えております。実は私、もう一つ、中国で実体験しているビジネス・ネタのブログもやっているので、エキサイト・ブログとLive Doorの両方でこの「ぺきん日記」を続けていくのは困難だなぁと思っていますが、当面は双方に同じ内容の記事をエントリーしていきたいと考えております。
"お引越し"というよりは、"二重生活”という感じでしょうか。どっちが"奥さん"かと言われれば、このエキサイト・ブログであるわけで、その奥さんが別のオトコを作ってしまい、私自身はなかなかお家に戻れない、と言う状態になってしまい、そんな可愛そうな私の面倒を見てくれるヒトが居てくれたので、暫らくそちらにお世話になる、と言う感じでしょうか。いつか暖かい家庭に戻れることを信じて...でも新生活のほうが心地よくなるかもしれないなぁ。

ま、ちょっと"愛人"のところにお世話になります、と言う感じですが、そちらのほうもどうかよろしくお願いします!!

ぺきん日記-中国/北京より- (live door版) http://blog.livedoor.jp/gucci_bj/
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by pandanokuni | 2005-05-31 23:22 | その他
北京が破壊されるとき。
東京などへの出張で、10日ほど北京を離れていました。日本では、このブログも含めエキサイト・ブログにはスルスル入れたのに、やはり北京に戻ると通常の方法では繋がりません。困ったもんです。
この10日間、移動時間が多かったもので、随分本を読むことができました。タイトルから、村上龍の『半島を出よ』と似たようなテーマ性を感じ、ハンフリー・ホークスリーが書いた『北朝鮮最終決戦』と言う文庫本を買い、あっという間に読み終えました。
この本の原題は"The Third World War"(第3次世界大戦)で、北朝鮮は登場国の一つに過ぎず、インド、アメリカ、パキスタン、中国、ロシア、イギリス、日本、韓国など、多くの国々が破滅へと向かっていくストーリーなのに、二見文庫の編集者は相当ごり押しして、邦題に旬の"北朝鮮"を躍らせてしまった感じで、ちょっと残念な感じです。作者ハンフリー・ホークスリーはアジア諸国で長年にわたって取材活動を続けてきた元BBCの北京支局長だけあって、ヒューマニティが心地よく香り、常にフィクションの中に居る安心感が漂う村上ワールドの『半島を出よ』とはまったく異なり、ドラスティックな軍事と政治の観点から近未来の、アーミテージあたりが真面目に予想可能な国際紛争を描ききっている感じです。

この両フィクションに共通する6年後か10年後くらい近未来の世界は....北朝鮮は軍部の暴走を腐敗した政権側が抑えきれなくなっていると言うこと。アメリカがアジアの紛争解決に臆病もしくは消極的であること。中国が世界のキャスティング・ボードを握っていることでしょう。
一方、両作品において近未来の日本は異なる描かれ方をされています。『半島を出よ』の日本は既に破綻した国家で、同盟国アメリカからも見放されつつある。日本政府は無策無力にして、集団に所属することを拒否してきた"不良"若者が日本を救うことになります。一方、『北朝鮮最終決戦』の中の日本の首相・佐藤徹は核軍備こそがアメリカの傘から抜け出す道だと主張する、いわば熱血漢。
中国に関して言えば、見事に経済成長を続け政治的にも安定しつつあり、アメリカも自国と同等の大国として認め、対立から妥協と協調へと政策を打ち出している、というのが村上龍の描く近未来であり、ハンフリー・ホークスリーのフィクションの中の中国もほぼ同等の状況にあると言えるでしょう。『北朝鮮最終決戦』の中の中国の国家主席は青春時代をアメリカで過ごし、巨額の富をビジネスで創出することもできたのに、敢えて国家主席になってしまった感じの男として描かれています。中国は相変わらず"民主主義"ではない形で成長を続けていますが、国家として反映し続ける上で、経済的に豊かになることは不可欠であると考え、国際社会との協調路線を取ることを明確に打ち出しています。そうしたオペレーションを遂行できる人物こそ、ジェイミー宋という名の国家主席なのでしょう。

元BBC北京支局長である『北朝鮮最終決戦』の作者は、アメリカ的"民主主義"より中国的"独裁主義"のほうをきれいに描いている感じすらします。アメリカの"躊躇"が世界を核戦争に陥れてしまいます。中国とロシアがキャスティング・ボードを握り、第3次世界大戦後の世界を指導するのが中国になるのか、と言うストーリー展開なのですが、いよいよと言うところで、その中国でも軍部が台頭してしまう。ウミガメ国家主席ジェイミーは、軍部と共産党とのバランスの上に立たされていることを十分理解しているので、もはや自分のできることは何も無いと悟るのですが、"世界の終わり"の前の日に、中央軍事委員会の陳主席と共産党の範総書記と北京の国貿中心25階で会談します。
"実際文化"(実用主義=プラグマティズム)。ここまで中国の成長を支えてきたコンセプトについて、ジェイミー宋国家主席と範共産党総書記の間には共通の想いがあったようなのですが、軍部にそれを理解して行動してもらうのは難しい状況なのです。
私には現実の世界でもここのところが中国の"アキレス腱"のような気がしてなりませんでした。

この3者会談の前日、北京のイギリス大使館と日本大使館が中国の「第二砲兵」と呼ばれる反乱軍によって焼き討ちされます。天安門広場にはこの反乱軍が集結しているのですが、その周りを北京市の警備当局が取り囲んでいます。北京市政府は宋国家主席側についていたのです。国務長官が"人質"となっていたアメリカ大使館では、反乱軍と北京市警備当局の間で攻防戦が繰り広げられます。そんな中で、若手実業家であるジェイミー宋国家主席の息子は暴徒に絞め殺されてしまいます....
『北朝鮮最終決戦』における北京の破壊はここまで。でも私がいま住んでいるエリアでの近未来の出来事が詳細に描かれているので、作者の経歴を考慮すると、かなりリアリティを感じてしまいます。

その後、世界が核戦争に呑み込まれても、北京は核ミサイルの砲撃を受けずに済んだようです。北京郊外・清河にある「第二砲兵」の司令部には通常弾頭によるミサイル攻撃を受けたようですが。アメリカ、日本、イギリス、ロシア、韓国、北朝鮮の政権中枢が核と生物兵器の攻撃により、尽く機能しなくなった世界で、中国はどうするのでしょうか。イギリス人の作者は、さすがにそこまで描こうとはしませんでした。
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by pandanokuni | 2005-05-29 21:58 | ひまネタ
さよなら、もみじ2号店。
東三環路を国貿中心から京広中心へと北上すると、その右側では中国中央電視台(CCTV)の新社屋工事がモタモタと行われています。北京で現在建設中のビルは、オリンピックが予定されている2008年までに竣工させなければならない、と言う"決まり"があるので、こんな様子でホントに間に合うのか心配になります。でも、1999年にその直前まで工事の遅れて姿を現せなかった王府井の東方広場のビル群が10月1日の建国50周年軍事パレードの直前になって、その堂々たる姿を突然現したという"実績"を考えると、きっとオリンピックの前の日あたりまでには、工事現場の囲いがはずされて、ハリボテのCCTV新社屋が姿を現すことはほぼ確実なのでしょう。こんなこと心配しても仕方が無いし。

CCTV新社屋の建設用地には、北京のごくフツーの集合住宅と小さな自動車工場があり、東三環路に面した位置には奥行3~4メートルほどの小さな商店が立ち並んでいました。その中には、日本人向けのスナック「もみじ2号店」もありました。
「もみじ」は「美波里」とともに、北京の日本人向けスナックの"草分け"的存在です。1997年当時、私が知り得たスナックはこの2つだけでした。その頃の「もみじ」はケンピンスキーホテルの東側の路地で遠慮がちに営業していました。"ママ"と呼ばれた4人姉妹の末っ子を中心に、3人姉妹がお店を切り盛りしていました。
"ママ"はカナダ国籍を持っていて、白人の彼氏とたまたま、既に営業を始めていた「美波里」に立ち寄って、ビジネスとしてのポテンシャルに強く感じてしまい、速攻で「もみじ」を開業した、と伝え聞いています。ですから、97年当時の「もみじ」はカウンター中心の店作りで、京信大廈に引っ越す前の「美波里」と非常に良く似た雰囲気でした。

商売は順調に伸び、老舗「美波里」を意識して東三環路に面した場所に「2号店」をオープンしました。オープンしたばかりの「2号店」もやはりカウンター中心の店作りで、「1号店」と呼ばれるようになったケンピンスキー横の「もみじ」の"ママ"のスグ上の姉が「2号店」の"ママ"としてお店を仕切ることになりました。「2号店」の"ママ"は妹の「1号店」の"ママ"よりもビジネスには長けていませんでしたが、その分穏やかだったので、次第に「1号店」より従業員の女の子もお客さんも引き付けるようになっていったのです。
2000年から2002年にかけては「2号店」の"黄金期"でした。いまの北京のスナックでは考えられないくらい性格が良く美しい女の子が揃っていました。
この店で稼いだ資金を元手に日本に留学し、いまは日本の"大企業"で活躍している女の子、日本人駐在員と日本で"幸せな"家庭を持っている女の子、多くのオヤジに貢がれつつも"貞節"を重んじた(と私は信じている)"伝説の"H嬢、現在スナックの"ママ"として相変わらず"この世界"から抜け出せない女の子など、この頃の「2号店」は数々の人材を輩出しています。

しかし「1号店」がヒルトンホテル裏の現在の場所に移転してから、事態は一変します。まず「1号店」と「2号店」との間で従業員のトレードが行われました。これは、"チームワーク"による接客が魅力だった「2号店」の雰囲気を悪化させてしまいました。"やり手"末っ子"ママ"の経営手腕とフロアの広さにより業績を伸ばしていった「1号店」に対して、従業員の入れ替えにより"チームプレイ"がで機能しなくなった「2号店」は凋落に向かっていきました。そして"ダメ押し"となったのが"ママ"のトレードでした。「2号店」の"テコ入れ"と称して、"やり手"の末っ子"ママ"が「2号店」を取り仕切るようになって、私のお気に入りだった「2号店」はまったく別なお店になってしまったのです....

CCTV新社屋の建設用地一帯が次々と"斥"(立ち退き - 取り壊し)されていく中で、「2号店」だけはしぶとく営業を続けていた様子ですが、2ヶ月ほど前に閉店したそうです。現在「1号店」の"ママ"は元々「2号店」の"ママ"だった姉のほうで、「スナック業界も競争が激化して大変なので『2号店』はもう出しません」と言っていました。
いまでは日本人向けのスナックは北京市内に100店近くあるのでしょうが、"黄金期"の「もみじ2号店」を知る私には、納得できるお店がほとんどありません。当時と比べれば、駐在員や北京在住の日本人や出張者もぐんと多くなり、需要も増え、嗜好も多様化しているので、お店の数が増えても、うまくやっているスナックもあるのでしょうけど....

久しぶりにこのあたりを歩いてみると、京広橋までの店舗はすべて"立ち退き"済みでした。行きつけのDVD Shopも移転先も残さず消えてしまいました。南側はほぼ"取り壊し"が済んでいて、「2号店」の隣の建物までが無残な姿を曝していたのですが、「2号店」だった建物だけは、まだしぶとく残っていました。
今週末あたりには、もう跡形も無くなっているのでしょうか....国破山河在、いや夏草やぁ..ツワモノどもが夢の跡。少し感傷でした!
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by pandanokuni | 2005-05-17 23:42 | ひまネタ
中国国際航空が"超音速旅客機"を投入!?
相変わらず、エキサイト・ブログには通常の方法でアクセスができません。このブログは北京在住の皆さんにもご覧になっていただきたいと思って始めたので、そろそろ"お引越"を考えなければ、と思っています。

さて、2003年10月に世界の空からコンコルドが消えてしまってから「超音速旅客機」はもう御法度なのかなぁ、と思っていましたら、なんと中国のフラッグ・キャリアである中国国際航空が"超音速旅客機"を投入するとのこと!!しかも、この国が"誇る"権威メディアである「人民日報」の日本語ウェブ版が報じたのですから、少し航空オタクの私としては、ウキウキわくわくしてしまいました。

そもそも、超音速旅客機はクリアしなければならない課題がたくさんあって、採算性に大きな問題があり、"本気で"商用開発しているところはもう無くなった、と言うのが私のイメージでした。唯一ボーイング社が「ソニック・クルーザー」という"近音速旅客機"を開発中なのですが、東京-ニューヨーク間が2時間程度短縮できる程度なので、これまた採算が取れるのかどうか心配するムードが支配的なのです。
さすが中国、欧米を差し置いていつの間にやら「超音速旅客機」を開発してしまったのかぁ、と感心しました。

ところが、この記事には「超音速旅客機(A340-300)」と書いてあります。ううん、A340-300はエアバス社が既に量産している旅客機で、日本ではあまりお見かけしませんが、中国国際航空では既に何機か導入済みのフツーの飛行機です。ジャンボ機と同じくエンジンが4発ついているので、ETOPS(1発のエンジンがトラブルを起こした場合でも飛行を許される時間)の制限を受けないため、長距離の洋上運行が可能な、大体300人くらい乗れるワイド・ボディ(客席内に通路が2本ある)飛行機....私の知識としてはそんなもんで、最高速度はボーイング社のB747-400なんかより遅いくらいだと思っていました。このA340-300が"超音速旅客機"だなんて!!!
いつの間にかスペックが変更されたのかもしれないと心配になり、エアバス社のウェブサイトも確認させていただきました。やはり"超音速"で飛行できるなんて一言も書いてありません。この飛行機の特長は、やはり巡航距離(着陸せずに飛び続けることのできる距離)が長いと言うことです。シンガポール-ニューヨーク直行便という現時点で一番長い距離をノンストップで飛ぶ路線に使われているくらいですから。

b0047829_1755394.jpgそれにしても、この国が"誇る"権威メディアが、日本語のウェブ版とは言え、ごくごく初歩的な間違いを載っけていたわけです。きっと翻訳ミスでしょうからオリジナルの記事を探してみたのですが、「人民網」内の検索では見つかりません。この記事自体、中国国際航空のファーストとビジネスクラスのシート設備が"世界最高クラス"になる、と言う内容のもの。日本人客の需要を当て込んで日本語版だけに掲載したネタだったのかもしれません。ま、中国語版に掲載してしまうと、そんなのに乗れるの役人くらいと金持ちくらいだろう、と不満のネタにもなりかねないでしょうから....

アク禁のことで意地悪されているので、私もちょっと意地悪になっちゃいました!!
[写真はルフトハンザのA340-300]
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by pandanokuni | 2005-05-11 16:45 | 社会ネタ
このブログ、中国から見れなくなっています....
「五一」と呼ばれる中国版ゴールデンウィークを、私はブログの更新もほったらかしにしたまま、のんびり日本で過ごしていました。
異変に気づいたのは、日本で北京在住の「原口純子さんの北京日記(こちらは漢字で「北京」、URLは"peking"なんですね)」をチェックしていたときでした。「ブログが更新不能に」という5月6日付けのポストは、日本の友人に託して更新したとのこと。その時は、まさか"エキサイト・ブログ"全体が中国から"アク禁"状態になっているとは思いもしませんでした。
5月7日に北京に戻り、実際いろいろと試してみましたが、複数の接続プロバイダで試してみても、どの"エキサイト・ブログ"にもアクセスできません。連休を中国で過ごされていた北京在住の方に確認すると、5月1日頃から"エキサイト・ブログ"にはアクセスができなくなってしまった、とのこと。

以前のポストでも触れましたが、中国では当局の不都合なサイトを閉鎖したり(中国国内にサーバーが設置されている場合)、アクセスできなくしたり(中国以外にサーバーが設置されている場合)します。反政府系やアダルト系の中国語のサイトはもちろんですが、外国語サイトでもCNNやYomiuri Onlineなどのニュース・サイトが一時的にアクセスしにくい状態になることはあります。
また、"geocities.co.jp"のドメインの個人ホームページは、かなり前からほとんどアクセスできませんでした。

それにしても、仮に私のブログが原因で中国からエキサイト・ブログがアクセスできなくなってしまったとしたら、大変なご迷惑をかけてしまったことになってしまいます。"exblog.jp"というドメインで規制するのではなく、せめて"beijing.exblog.jp"などと言う、サブ・ドメインのレベルで規制してくれれば、まだマシなのに、この国にはそんなデリカシーは期待できませんし....でも、このブログは、かなり多くの方に、"親中派"と目されているので(私自身はそう思っていないのですが)、このブログが原因とは考えにくいのですが。

もう一つのブログ、「北京ビジネス最前線」をご覧になっていただいている方からの情報ですと、あるブログが原因で"ココログ"全体がアク禁になったそうです。4月18日付の記事が原因と推測されるのですが、現時点では"ココログ"内のブログが中国からも見ることができるようになっています。
エキサイト・ブログのアク禁も、近いうちに解除されることを期待するしかありません。

"情報統制"のモロ"被害者"になってしまっているのに、こんなのんびりした態度だと、きっとお叱りのコメントを頂戴しそうなのですね。
「金盾行程」(Gold Shield System)と呼ばれる"治安維持プロジェクト"の一翼を担う、インターネット上のキーワード検索&遮断システムは、アメリカのS社が技術供与しているとのことです。「紅旗」と呼ばれるLinuxベースの中国"国産"OSが思ったほど普及せず、Microsoftへの風当たりも以前ほど強くなくなった中国です。IBMの一部も既に中国企業になってしまいました。
深読みして「アメリカこそが中国の情報システムを牛耳っている」と考えることもできるでしょうが、中国だって警戒すべきところは警戒しているはずですから、人権と民主主義を叫んでいるこの超大国は短期的には中国との"エゲツない"ビジネスを優先しているような気がしてなりません。
しかも、飛行機がビルに突っ込むシーンの放映の"自粛"を要請されると、かの国のネットワーク・テレビ局は素直に応じてしまいますし、"テロとの戦い"などの"大義名分"で、表現の自由を制約されている人たちもいます。
諦めているわけではありませんが、多かれ少なかれどこの国家も似たようなものではないでしょうか....
もちろん、中国のインターネットのアクセス規制を容認するつもりもありません。この状態が続くようでしたら、エキサイトもビジネス上の不利益を被るはずですから、山村社長あたりに対応策を相談してみることにしましょう。

ところで、何故いま私が中国に居て、エキサイト・ブログを更新できているのでしょうか?
これもある方にお聞きしたのですが、"たまねぎの皮をむく"ことにより、アク禁のサイトにも接続できるようになりました。ほんとうは中国在住のエキサイト・ブログを見てらっしゃる方全員にお教えしたいのですが、誰もがこの方法でアクセスできてしまうと、きっと当局も対抗策を打ち出してきてしまいそうなので、ここでご紹介するのは控えさせていただきます。"上に政策、下に対策"ですね。
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by pandanokuni | 2005-05-09 20:53 | 社会ネタ
出国審査官の「こんにちは!」
中国は"五一"(メイデイ)の連休を5月1日から7日までと"行政指導"しています。7日間連続の連休と言うわけですが、4月30日(土)と5月8日(日)は、振替出勤日という"行政指導"ですから、土日を除けば実質3日のお休みと言うことになります。
私は、中国の取引先の来日などもあって、4月28日に日本に戻りました。

4月28日は8時台の便で東京に戻るため、チェックインを済ませ、ボーダー・コントロール(出国審査)に並んでいました。北京首都空港の出国審査は"櫛形"行列になっていて、比較的待ち時間も少なくなっています。ちなみに、入国審査のほうは、外国パスポートであっても「中国公民」の通路に並んでも問題なく入国審査してくれます。成田に戻って、外国パスポート所持者のほうにだけ長い行列ができているのを見ると、ちょっと申し訳なく思ってしまいます。

さて、北京首都空港の出国審査で、前に並んでいた日本人老夫婦の奥様のほうが私に声を掛けてきました。
「あのぅ、すみません。日本人の方ですかぁ....」
菊の紋章の日本国パスポートを誰にでも分かるように持っていた私なのに、きっと"中国人化"してしまって見えたのでしょうか?ちょっとショックでしたが、わたしは"しっかりした"日本語で応対して差しあげました。
そのご夫婦は「出国カード」の記入内容について、私に確認したかったようでしたが、サイン(署名)と日付欄以外の部分は、既にきれいにタイプ打ちされて記入済みでした。パッケージツアーで北京に観光に来られたご夫婦のようでしたが、さすが日本の旅行代理店の手配だけあって、出国カードの記入もしてくれているんだなぁ、と感心してしまいました。
「ここにサインときょうの日付を書き込めば、大丈夫なはずです」というほんの短い会話があって、あとはお互い無言のまま出国審査の順番を待っていました。

"櫛形"行列なので、ボーダー・コントロールのところで、ご主人は右奥のほうに通されました。次いで、奥さんのほうが行列の正面のカウンターに通されました。私は真後ろで奥さんのほうを何気なく見ていました。
彼女が日本のパスポートを出国審査のカウンターに提示すると、濃いグレーの公安制服の公安審査官の20代後半と思しき男性が、大きな声で彼女に向かって「こんにちは!」と声を掛けたのです。彼女は、一瞬後ろにふらつくくらい動揺しているように見えましたが、すぐに小さな声で「こんにちは」と発声していました。その後は無言のまま、所定の手続きをして、出国スタンプをパスポートに押してもらった彼女は、ちょこんとお辞儀をして、前方に抜けていきました。

スグに私の番がやってきました。その奥さんと違うカウンターで20代の女の子が出国審査官でした。私は、日本国パスポートを提示すると、明るく元気な声で「こんにちは!」と言いました。でも、彼女は手渡されたパスポートのページをめくりながら私と目もあわせずに、小声で「にーはお」でした。それから、パスポートの最初の写真のページにめくり戻ってようやく顔を上げ、私の顔をじぃいっと見つめます。思わず愛想笑いをしてしまいました。そして、ピタンと出国スタンプを押すと、放り出すようにパスポートとボーディングバスを私のほうに戻しました。
ちょっと、態度がちがうんじゃないかぁ、と思いつつ、この人たちは「観光客」と「ビジネス客」の扱いを使い分けているのだろうか、そんなマニュアルまで存在していたらスゴイなぁとか、或いは対応の違いはやはり”個人差"によるものだったのだろうか、などと考え込んでしまいました。

成田空港に到着すると、いつもながらに"違和感"を感じてしまいました。入国審査の日本人用と外国人用の列の長さの違いもさることながら、都心へのアクセスも含めて、外国の方にはなんて不親切なんだろうなぁ、と。北京首都空港も決して親切なつくりだとは思いませんが、日本語対応可能な"ぼったくり"タクシーに捕まったとしても、日本円で2~3,000円、時間にして30分ほどで、中心部のホテルまでたどり着くことができるのです。
日本語も英語も分からない中国人が、鉄道かバスで都心のホテルまでたどり着くのは至難の業ですし、料金も時間もすごくかかってしまいます。
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by pandanokuni | 2005-05-01 01:27 | 社会ネタ