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衛慧『ブッダと結婚』--中国人と日本人の恋愛物語 in ニューヨーク。
文革を知らない世代の中国文学を世界に伝播した女性作家・衛慧(Wei Hui)の『ブッダと結婚』。日本語版を翻訳された泉京鹿さんから直々にいただいた単行本をようやく読み終えました。

この小説は、主にニューヨーク・シティを舞台にした、中国人女性作家ココと日本人アドマン(?)Mujuの恋愛物語、と言うことができるでしょう。前世紀末に発表され物議をかもした『上海ベイビー』の続編と言う位置づけで、主人公ココと作者衛慧(Wei Hui)を重ね合わせて読むことを強いられるくらいの私小説として世には通っています。

両作品を通して、主人公ココは奔放な女性として作家衛慧(Wei Hui)とともにこの国では非難されることが多かったようです。現に『上海ベイビー』はポルノ小説として中国では発禁処分を受けました(実際のところ、読みたいと思えば海賊版やネット上でいくらでも読むことはできるのですが)。更に作家衛慧(Wei Hui)に対しては、その文学的才能を賞賛する意見よりも、自身の性的プライバシーをビジネス化しといる批判が多く、権威ある文壇からは煙たがられ、当局からは"西洋文化の奴隷"と非難されたそうです。こうした中国での"評判"こそが、この作家と作品を世界へと推し出した要因であることも否定はできませんが....
そこでまず考えてみたのが、主人公ココ=衛慧(Wei Hui)と敢えて捉えてみたとき、彼女が奔放で秩序を乱すような人物であるのかどうか、です。

タイトルからも推測できちゃうのですが、衛慧(Wei Hui)には中国では一般的ではない仏教系信仰を背景にした考え方があります。彼女は少女期の3年間を仏教寺院で過ごしたそうです。この多感な時期に僧侶と交流して得たことが、彼女の人生の根底を貫いているように思えます。小説『ブッダと結婚』の主人公ココは浙江省普陀山の寺院で生まれました。作家衛慧(Wei Hui)のブログのタイトルは「私の禅」(我的禅)です。『我的禅』は『ブッダと結婚』を中国国内で公開するためのタイトルでもあるのですが、このブログには普陀山のお寺の僧侶と散歩する実に穏やかな衛慧(Wei Hui)の写真がアップされています。

私には一時期のジョン・レノンが仏教に傾倒した"雰囲気"とは違って、衛慧(Wei Hui)の根本に仏教的思想が根付いているように思えるのです。私は仏教に詳しいわけではないので、、もっと具体化してしまうなら「無常観」と「輪廻転生」です(これって仏教的思想で当たってますよね!?)。前者が生きているうちのことで、後者が死後のことだと乱暴に分けてしまえば、主人公ココの生き方は常に「無常観」に支配されていて、作家衛慧(Wei Hui)の文学的表現にはいたるところに「輪廻転生」が散りばめられているように思えてきます。

<時の無情な流れとともに、あらゆるモノは変化していく。受け容れ難いことでも呑み込んで前に進んでいく必要がある。無常の時空こそ、唯一自分の味方なのだ。"Time is on my side !">主人公ココの生き方は、決して自分勝手でハチャメチャで恣意的なのではなく、こうした「無常観」によってコントロールされているように、私には思えます。
一方の「輪廻転生」は、作家衛慧(Wei Hui)が描く都市や自然や動物や風景や食器や料理やプレゼンやト、そして主人公ココの周りの友人や親戚などの人物描写など様々なところに分散しているように思えます。きっと若いので自分自身の死後の世界までを意識していないのかもしれませんが、彼女の描く様々なモノや人物は前世あっての意味ある存在であるように思えるのです。

こうした主人公ココ或いは作家衛慧(Wei Hui)の前に現れたのが、中国伝統の古い修行法(老子の道徳経)やメディテーションを実践している日本人アドマンだったのです。
この小説は、典型的な中国人女性と日本人男性の恋愛物語として読んでも楽しいので、次はこの点をみてみます。

主人公ココと日本人アドマンMujuとの恋物語には、中国人女性と恋をした多くの日本人男性が共感するエピソードがたくさん盛り込まれています。
耐え切れなくなったときの日本人男性の言葉:「君は料理が好きじゃない、安易にものを投げ捨てる、叫び声をあげる......」「意識していないのかもしれないけど、君の振る舞いにはいつも何の必要もない傲慢さがあらわれているよ」「君はほんとうにお姫様だね!」
多くの日本人男性は中国人女性と親密になればなるほど、相手のことを”甘やかされた扱いにくい女”とか"お姫様"とか思ってしまうのではないでしょうか。これは主人公ココに限ったことではないのです。

一方、多くの中国人女性にとって、彼女と真面目に恋している日本人男性は誠実で理性的あると思われます。安易にものを投げたり、大声でわめいたりせず、冷静で合理的にモノゴトに対処します:Mujuは静かに道理に基づいて争う方法を教えてくれた。
ただ、日本人男性にとっては生活の中の無用なトラブルを避けるがための、ある意味で合理的な誠実さこそが、時には相手を傷つけるものらしいのです:ただMujuは誠実すぎるだけなのだ。彼は嘘をつく時間も気力も使いたくないだけで、嘘をつくことによって生活を意味のない複雑なものにしたくないだけなのだ。

中国人女性が捉えた"日本人の男女観"。(1)女は男より遅く起きてはいけない。(2)女は男を厨房に入らせてはいけない。(3)女は男みたいに乱暴に話したりしてはいけない。(4)女は素っ裸で五分以上部屋をうろうろしてはいけない、たとえセックスの後であっても。
ちょっとコンサバ過ぎるかもしれないけど、私には納得できちゃう部分もあります。
主人公ココと日本人アドマンMujuとのいざこざの原因が、互いのパーソナリティにではなく、文化の違いに拠ることころのほうが大きいように、私には思えました。似たようなエピソードによって、破局を迎えた中国人女性と日本人男性のカップルは意外と多いと思います。蛇足ながら、日本人が捉える中国人女性のイメージが、"熱湯ぶっかけ"とか"インスリン注射"などに偏らないように、秘かに願っているところです。

最後は、上海・ニューヨークを中心とした「都市論」として、捉えてみたいと思います。
私は北京に住んでおりますが、出張などで上海に行くたびにこう思います:野心いっぱいに、ハイスピードで、クレイジーに、資本主義の路線を突っ走っている。これが上海。なんだってアリだ。やってくるものは早い、去っていくのも早いかもしれない。経済がヒートして、がやがやと騒がしい。上海をベースにして生きている彼女もそう思っちゃうのですね。そして、上海に感じる匂いと湿気と艶やかさ:上海は、だんだんニューヨークのようになってきてはいるものの、永遠にニューヨークにはならない。少なくとも上海の空気は永遠にあんなふうにしっとりと、雨上がりの花園か、そうでなければ風呂上りの女を思わせるにおいをしている。

そうした上海っ子にもコンプレックスはあるようです。だからこそ、主人公ココ=作家衛慧(Wei Hui)は:世界で最も資本主義化した一番クールな都市-ニューヨークにやってきたのです。そのニューヨークでは:「ファッションがちょっとおしゃれなアジア人は、絶対に日本からきているはずで、中国からきたんじゃないだろうってことになるよのね」
しかも、どんなにハイスピードでクレージーで資本主義路線を突っ走っている上海人であっても、"あこがれ"のニューヨークや東京やパリに簡単にたどり着くことはできないのです:中国のパスポートは、つねに他の国からビザを拒否されてしまう保証書のようなものだ。中国の若者のライフスタイルは、もはやアメリカや日本の若者とほとんど変わらない。けれと、彼らの夢と現実は衝突する。どこかへ行きたいと思い立っても、ビザの心配をすることなしに、チケットを手に入れるだけですぐにパリや東京やニューヨークに行くことはできない。どんなにたくさん身体にピアスの穴を開けたって、ちっともクールじゃない。
世界一国際化しつつある上海人の自虐的告白は、中国の大衆文化(ポップ・カルチャー)の脆い現実を語っています。

作家衛慧(Wei Hui)の仏教的思想を背景にした生き方に関しては、この国では例外的と言えるかもしれません。でも『ブッダと結婚』は、中国人と日本人の恋愛物語としてスナオに楽しめますし、いまの中国の尖がったお金持ち若者の実態をステキに描いていますから、中国嫌いの日本の若い方々にお勧めの一冊ではあります。しかも、さりげなく放置しておくと知的なインテリアになりそうな天野喜孝さんデザインのカバー付きです。

ブッダと結婚
引用はすべて、講談社:衛慧『ブッダと結婚』泉京鹿訳より
by pandanokuni | 2006-03-20 22:43 | その他
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