16年目の6月4日に、日本メディアは何を期待していたのでしょう?
6月4日のNHKニュースは不思議でした。
"事件"から16年を迎えた天安門広場で、「目立った動きは見られていない」と言うことを大きなニュースにしていました。更に「警備もほぼいつもと変わらない」状態であることを、08年の北京オリンピックに向けて、国際的なイメージ低下を怖れた措置、などと解説していました。NHKの海外向け放送プレミアではほぼ1時間毎にニュースがあるのですが、このニュースが始まるたびにいつもながら中国では"ブラックアウト"してしまいました。

実際は先週末、北京市内に配置された警察官の数は"普段"より圧倒的に多かったと思います。天安門広場はほぼいつも通りだったのかもしれませんが、少なくともその周りは"普段"以上の警備体制でした。4日も5日も長安街(広場に通じる通り)をクルマで走りましたが、運転手さんも、「さすがにきょうは警察が多いなぁ」と言っていました。
警備当局は、天安門広場周辺に防御線を張って、"本丸"を敢えて手薄にしていたのでしょう。NHKはその"本丸"だけを見て、"いつもどおり"平穏と報道してしまったわけです。
以前も書きましたが、地方からの陳情隊やら民主化団体やら宗教集団やらの政府にとって面倒な"お客さま"は"本丸"である天安門広場や中南海にたどり着く前にお引取りいただく、と言うのが、いまの北京の警備方針になっていると思います。そうした"情報"が入ったり、当局にとってヤバそうな状況の日には、北京市内の駅や道路の"チェックポイント"に公安関係者がワンサカワンサカ屯っています。やですから、"本丸"の様子だけ取材して"いつも通り平穏だ"なんて、報道するのは正確ではないと思います。

日本のテレビはNHKしか見れないので、他の日本メディアがどうなのか一概には言えませんが、少なくともNHKの報道ぶりは、"何も起こらなくて残念だった"というように私の目には映りました。或いは、"何も起こらなくなったから、北京オリンピックは大丈夫だ"と太鼓判でも押したつもりだったのでしょうか。
4月に北京で反日デモが盛り上がった翌週以降の週末、北京に住む日本人は"何も起こらなくて良かった"と心から思えたはずです。
でも89年の事件を民主化運動とその弾圧として捉えた場合、16年目のその日に、何か起こるべきだったのか、何も起こらずに良かったのか、いったいどっちだったのでしょうか?

夕べ一年ぶりにカーマ・ヒントン監督の「天安門」というドキュメンタリー映画を見ました。随分昔日本の映画チャンネルで放送していたのを録画したものなのですが、北京に来てからいつもこの時期に見てしまいます。この中国系アメリカ人の監督は、政府だけを"悪者"としては描いていません。明らかにも学生にも"非"があったと考えているようです。
このドキュメンタリーが描く16年前の学生たちの行動は、4月に北京で私が目の当たりにした反日デモの参加者の行動と同じように映ります。16年前の彼らも"愛国無罪"と叫んでいました。そしてその"顛末"も似たり寄ったりです。
1989年5月19日、失脚したての趙紫陽さんが広場の学生の中に姿を現し、涙ながらに「手遅れです。この批判は甘んじて私が受けることになります」と呼び掛けるシーン。趙紫陽さんに着いて来て彼の後ろにいるのが温家宝さんでした。書物で学んだ民主主義ゆえに、実践しようとしてもチグハグになってしまい、いかにインテリたちとは言え衆愚化してコントロールを失ってしまった学生運動。温家宝さんは、現場の空気を感じた数少ない"生き証人"のひとりであるわけです。
アメリカ的な民主主義の押し付けが、この国ではいかに危険なのかも、このドキュメンタリーと4月の反日デモが物語っているように思えます。
そう考えると、6月4日のあの場所で"何も起こらなかった"ことが、私には"良かった"と思えてしまうのです.....
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by pandanokuni | 2005-06-06 22:45 | 政治ネタ
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